カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

呼びかけと罪悪感

誰かに呼びかけられて、その呼びかけに応えなかったことに罪悪感を感じることがある。罪悪感をそのまま持ち続けることに耐え切れず、罪悪感をもたせた呼びかけに対し、反発を覚えるようになる。
そして、「その呼びかけ=悪」という説明をどこかで見つけて「応えなくてよかった」と後付で合理化したりする。

しかし、そもそも罪悪感を感じた理由は、その呼びかけにシンパシーを覚えていたからだった。
それが、罪悪感が不快なあまり、裏返ってしまった。あれ?

罪悪感が余計だね。なぜ罪悪感を覚えるのだろう? 
呼びかけ人の「行動」に対する「感謝(自分が動けないのに動いてくれてありがとう)」がある。それは呼びかけ人が自分へ「贈与」をしてくれたように感じるから。
その贈与に対して「返礼」しなければならないのにしていないことが罪悪感の理由なのかもね。

だとすれば、「感謝」して「応援」する行為で返せばいいんじゃないかなあ。
どんな形でもいい。呼びかけられた行為そのものはしなくても、心のなかで祈るとか、どこかで支持を表明するとか。
罪悪感なんてやっかいなものに、元々もっていた思いを反転させられるよりも、ましなやりかたがある。

最近呼びかけられる機会がやたらと増えたなあと感じます。
わたし自身も呼びかける側になることもある。「参加できなくてごめんなさい」と謝られたりすると、こちらも申し訳ない気持ちになります。
「ありがとう」「応援しているよ」のことばだけで勇気百倍なんです。呼びかけを読んでくれただけでも、有り難い。だから、どうか罪悪感は持たないでいただきたいのです。

わたしは、できるかぎり気持よくお誘いしたいと思います。やってるわたしが、楽しくやるのが一番ですね!

Happy Birthday! 16歳になりました

今日はカイの誕生日です。
みなさんからたくさんの愛をいただいて、16歳になりました。
昨年は、わたしが体調を崩して祝うことができなかっただけに、今年一緒に祝うことができて本当にうれしい!!

カイは高等部に入って、毎日電車通学になり、たいへんかな?と心配もしましたが、本人はむしろ誇らしげで。「高校生になった」と胸を張っているように見えます。一学期は1日も休まず、元気に通いました。

最近のブームは、逆さ言葉です。

「オデビ・ムーホーニズデ」
「オデビ・ムーホーニズデ」
「オデビ・ムーホーニズデ」

呪文のように訴えてくるのが、さっぱりわからなかったのが、ある日妻が「わかった! 逆さまに言ってる!!」と謎をときました。ディズニーホームビデオ!!

やっぱり、カイの頭のなかには、文字(映像)で、記憶されているんですね。記憶の文字を逆から読み上げているんだと思います。
なぜそんなことを思いついたのかはわかりませんが、少ない言葉をくふうして、楽しんでいるようです。不思議です。

この夏休みは、早くも作業所を回って体験をしていきます。卒業後の進路のために今から動かないといけないそうです。カイには楽しみながら、選んでもらいたいと思っています。きっといい出会いがあるよね。
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ダフト・パンクみたい(笑)

1周年

今日は、1周年の記念日。
元通りとはいかないけれど。
生きている!
もうひとつの誕生日。
おめでとう。

長生きを願うより、先手を打とう!

今日読んだ興味深い記事。

・おかあさん、90才まで生きましょう!!〜思春期は40才で終わる
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20150627-00047020/
特に75才を越えてからは、子どものケアよりも自分(母)自身の長生きを考えてください、と言うと、わりと盛り上がる。

誰もが100才になりたいと思っており、こどものひきこもり高齢化は母自身が100才になるための正当な理由になるからだ。

わりと盛り上がる、というところが、なるほどと思い、
「障害を持つ子の親に「90歳まで生きましょう」と言うのと似てる。長生きは誰でもしたいし、長生きする意義を見出すと、ひたすら心配するモードから「攻め」モードに切り替えることができるのかな。」とコメントしてシェアをした。

でも、この記事で問題にしているのは、経済的なことだけなんだよね。たぶんお金が続けば、一生ひきこもっていても生存はできるから、「お金が切れないこと」がキーになるのだろう。

ケアを必要とする子どもを持つ親の場合は、やっぱりお金だけを用意しても、本人の生存すらもおぼつかない。親は、お金を払うだけではなく、様々な支援を自らも提供しているわけで。

やっぱり、長生きは(できればそれに越したことはないけど)するしないに関わらず、「親亡き後」よりずっと早く訪れる「親の支援無き後」に向けて、早いうちからどんどん「攻めて」いこう。できることはたくさんあるから。

【追記】
正直な話。昨夏体調をくずしたわたしは、長生きできる自信はまるでありません。

制度が整っていること、カイのまわりに「人垣」ができること──
次の世代が、親身になって、権利を守ってくれること──

を願って、「今」できることをやるしかないんですよね。

未来のことを、「今」直接「保証」することはできません。
じぶんにできることは、「今」困っている人のためにできることをして、
めぐりめぐって、いつの日か、カイが困ったら助けてくれる人が現れることを期待する──
というとても迂遠だけど、実は、「今」できる一番たしかな「先手」なのかなと思います。

虐待が「できてしまう」理由

虐待の加害が「できてしまう」理由について考えている。

・FNNニュース:山口・障害者施設虐待 内部告発の男性、市の対応の遅さ指摘
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00294475.html

下関の障害者虐待の加害者がテレビのインタビューを受けている映像を見た。虐待などに身に覚えはない、と否定してたのが、映像を見せられて、男は
「(これは、ご自身では?)そうですね。すみません。(だいぶ強い口調だが、これは虐待?)そうですね。本人、僕ですね。(これは虐待では?)なりますね」と話した。

証拠を見せられて、あっさりと認めて「すみません」と言う。テレビのインタビューという非日常な状況で、映像を見せられて答える姿は、あまりにも無防備だった。否定できない証拠があるとわかり、あっさりと認めていた。叩くことが「悪い」ことだと、思ってはいるのだろう。それなのに、なぜ?手が出るのか。

怒号、罵声を浴びせ、崩れ落ちるほど強く平手打ちをする、威嚇して恫喝する、「暴力指導員」は、テレビカメラの前では普通の人に見えた。わたしの中で、そのギャップがもやもやしている。

障害がある人に暴力を振るうことは、「抵抗感」があるはず。そこを踏み越えていくきっかけ、動機、反復される理由が気になる。暴力を「正当化する理屈」がなんなのか?そこを、照射して明るみに出さないと、再発防止はできないんじゃないかと思う。

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報です。

・福祉施設で虐待の疑い 元職員に逮捕状
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150610/k10010109051000.html

・障害者施設の元職員を逮捕 山口、利用者を平手打ち容疑
http://www.asahi.com/articles/ASH6B3GPSH6BTIPE00J.html
先月28日、暴行の様子を撮影した映像がテレビなどで流れ、県警が事実確認を開始。今月5日、同園の関係者から告発を受けた。被害者保護と再発防止の観点から捜査を急いだという。複数の施設関係者が暴行する様子が映像に映っていることから、県警は、ほかにも犯行に関わった職員がいる可能性があるとみて捜査する方針。

逮捕されました。
障害のある人に対する暴行も、刑法犯に該当すれば、捜査され逮捕されるということです。

一方で、行政(下関市)の対応が適切だったのかについて、下関市議会の文教厚生委員会で6月9日に審議されています。真偽の様子が以下の記事で詳しく記されています。

・下関市議会議員 吉田真次のブログ:障害福祉サービス事業所大藤園内における施設従事者による障害者虐待について
http://ameblo.jp/s-yoshida706/entry-12037064390.html
メディアの報道を見ると、市が立入調査をしたにも関わらず、調査後も虐待が行われていたと勘違いする方もいるかもしれませんが、そのような事実は現在まで確認できていません。

あくまでも虐待は平成25年11月〜平成26年2月頃に起こったものであり、それが最近になって大きく報道されて、現在に至っています。

暴力をふるっている映像は立入調査後に市役所職員が初めて目にしたものであり、暴力をふるっている映像を見たあとに立入調査をして、虐待がなかったとしたわけではありません。

全職員に事情を聞いたにも関わらず虐待が確認できなかったのは、市の調査力不足もありますが、それ以上に大藤園の組織ぐるみでの隠蔽と調査に対して虚偽の答弁を行ったことが最大の要因です。

このブログでも指摘されていますが、組織ぐるみで隠蔽をされたため、立入検査をしても見抜けなかった。

いったい内部告発があった場合に、どうやって虐待の事実を発見していくのでしょうか。その方法が求められます。

たとえば、利用者に直接質問をするとか、保護者や施設を出入りする業者などに、「怒鳴ったり、叩いたりしているところを見たことがないか」尋ねるとか。行政の聴き取り技術の向上も、必要だと思います。

しかし、具体的にその聴き取り場面を想像してみると、「疑い」を持っている保護者も「お世話になっているから」とか「他に行くところがない」という負い目から、正直なことを口に出せなくなるのではないかと思ったりもして…

でも、そんなんじゃダメなんですよね。一番弱い立場に置かれた人を最優先で考えないといけない。

「これは犯罪だ」と認めて欲しい

前回記事で、わたしは「処罰」を求める気持ちを書きました。

なぜそう思うのかを考えてみました。

まず、虐待をしても刑事罰には問われなければ、
・抑止効果が働かない
・被害感情が癒やされない
と思うからです。

とはいえ。
「犯罪」であることと、裁判で「有罪」になることの間にはギャップがあります。
思いつくプロセスを書いてみます。

・警察が、立件を前提として捜査して証拠集めをする。
・被疑者を見つける。
・検察官が起訴をする。
・裁判で審理される。
・犯罪事実と故意が証明されて、有罪の判決がくだされる。

刑事罰を与えるということは、適正な手続に則り、証拠によって犯罪事実の認定がなされなければなりません。誤認で、逮捕や起訴された場合の起訴された人への影響は甚大なものがあります。

起訴して有罪の認定がされるだけの証拠が、被害者に知的障害があるために得られにくい、ということはあるでしょう。

しかし、虐待事実が明らかになったときに、「警察が捜査を始めた」と聞くことが少ないように感じます。それは何故なのでしょうか。被害者本人あるいは周囲の人からの被害の訴えがないからでしょうか。

「被害者が亡くなった」という極限までいかないと捜査もしてもらえないのか?と思ったりします。実はわたしは、そのことが悔しくて憤りを感じています。
客観的な数字に基づくものではない主観に過ぎず、「ひがみ」のような感情でしかないのですが、そこに、障害のある人が、障害のない人と比べて尊重されていないという「差別」を感じるのです。

せめて、捜査をして欲しい。「これは犯罪だ」と認めて欲しい。
そのことの積み重ねが、虐待の抑止につながっていくと思うのです。

なかなか冷静にはなれない──

「虐待」ってなんですか?

知的障害のある人への「虐待」の報道が相次いでいる。
その加害者は、本来は障害のある人を護るべき職員だという。

山口県下関市での「虐待」の報道。
わたしは動画は見ていません。
友人から話を聴いて、とてもじゃないが、今のじぶんの精神状態では耐えられないと判断しました。

わたしは、知的障害をもつ子どもの親です。
「虐待」の報道を聴いて、感じるのは、「絶望」です。
大切に育ててきて、成長した子を、信頼して託した相手が、人権を蹂躙して恥じることない人・組織だったとしたら…。想像しないではいられません。

本人は、被害を訴えることができません。
だから、加害者が刑事罰を受けることもないのでしょうか? 
裁判にたえられる「証言」がないから? 
知的障害のある人の「証言」は信用性が薄いから証拠にならない?

被害者が、知的障害のない人だったら、加害者が暴行罪や傷害罪で裁判にかけられて刑事罰を受けるのに。
死ななきゃ、裁判にもならないんですか?



「虐待」ってなんですか?
「暴行」や「傷害」より、酷い状態を示すことばのはずなのに、障害者への「虐待」は起訴もされず、刑事犯にならない。
これが、差別でなくてなんなんですか?

【日記】雲

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【日記】あじさい

今日はつぼみプロジェクト部の「障がいのある人の暮らしとお金」セミナーでした。内容は、またプロジェクト部ブログで報告します。

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会場のとなりで咲いていたあじさい

今週は、低空飛行でした…。今日も体調がすぐれず、役割を果たしたら早退しようと思っていたぐらいでした。

でも、仲間と会って、企画会議をして。「ピントがやっと合った!」と思える瞬間があって、アタマが冴えてきました。

又村あおいさんは相変わらずキレッキレでサイコーでした。
会った瞬間から気持ちがシンクロして、エネルギーがチャージされる相手が世界にはわずかだけどいて、わたしにとって又村あおいさんはその一人です。

グループワークも、とってもあたたかくて前向きな対話ができて。セミナーが終わる頃には、心が晴れ晴れとしていました。

あじさいは土壌の状態によって色が変わるそうですが、わたしも同じだなあと思いました。いい人たちから養分をもらって色が変わる。
今日参加されたみなさんに会えてよかった。感謝です!
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