カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

transition

じぶんの周りで、大きな変化が起き始めている。

カイも仕事も草Pもプロジェクト部も。

重なっているのは単なる偶然ではなく、次のフェーズに移り始めているんだと思う。関わっている人たちが変化成長しているから。互いに影響しあっているから変わる時はシンクロして変わる。もちろんわたし自身も。

わたしはひとつのところに留まれないと思ってきた。飽きてしまってエネルギーが枯渇してしまうように感じてきた。
でもわかったことがある。長く留まることで、「ひとつのところ」が広がり、増えて、多層的に重なり、影響しあうようになるということ。

立ち去っていたら、知り得なかった。
注いだエネルギーは、循環し増幅されて戻ってくる。循環には時間がかかるから、すぐに立ち去ってしまったら、ひたすら一方向にエネルギーを注いで終わりになる。

変化には意味がある。
変わる時には大きく変わる。
こういうときは全てをコントロールしようとしてもできない。意味づけは後回しで感じよう。エネルギーはわたしのなかに落ち着き場所を見つけるだろう。

あらためてわたしの役割

情報の中から「輝き」を見つけて、それをみんなの目に触れるところに置くこと。
ブルーキャンドル

カイ、中学を卒業しました。

カイとともに登校した道を、卒業式の日は妻と二人で歩きました。入学前に二人で通学ルートを検討して決めたことを思い出しながら。

1時間半の長い式、よく耐えてがんばりました。クラスメイトのナチュラルサポートがありがたかったです。
サポートしてくれたのは、特別支援学級の同級生の女の子でした。いつも誰よりもカイのことを理解したサポートをしてくれていて、カイが頼りにしている様子が伝わってきました。感動と感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとう!

周りの親御さんたちは涙していましたが、私たち夫婦は、カイの様子にハラハラどきどき、泣くヒマはなかった(*^_^*)
息子の辛い顔をみると身が縮み、、、笑顔をみると腹の底から温かくなります。
1時間経過したあたりから、動きがアヤシクなっていましたが、なんとか最後までがんばりました。大したものです。

ひとりで壇上に上がり、卒業証書を受け取り、ぺこりと頭を下げて席まで戻れたのには、驚きました。先生方、たいへんお世話になりました。
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式が終わった後のカイのすっきりした表情がとてもよくって。切り替わってるな、と思いました。

(イヤマフは本番では取ってほしいという親の希望でしたが、ずっと練習で使ってきて、長時間の本番をカイが耐えるためには必要という判断で、着用したまま行いました。)

そして、進学先から「入学許可」の通知が届きました。
明日から、登校の練習をはじめます。
きっと大丈夫。カイは次のステージにもう切り替わっている!

カイは切り替わるときは、スパッと切り替わるから。なかなか頼もしいです。
カイは着実に成長しています。人生イヤなこともあるけれど、楽しいこともたくさんあると理解している。だから、見通しを持ってガマンもできるようになった。ママの身長を1年前に抜きました。昔から「クールな赤ちゃん」だったけど、最近は「苦みばしった少年(?)」です。

Facebookで、カイの卒業を報告したときに、本当に多くの方々からお祝いの言葉、いいね!をいただきました。カイも、わたしたちも、本当にしあわせ者です。

今、感傷よりもずっと大きな喜びがあります。いつも「次」があるから!
これからも、大切なLIFEを、生きていきます。みなさん、ありがとうございました。
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【報告】障害を理由とする差別の解消に向けた地域フォーラム in 名古屋

2月7日に、「障害を理由とする差別の解消に向けた地域フォーラム」名古屋開催回に参加してきました。内容の報告は、後日内閣府のページであるそうです。
ここではわたしの印象に残ったことを記録しておきます。
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◆いよいよ差別を無くしていくぞ!

基調講演は、障害者政策委員会委員、筑波大学教授の柘植雅義さん。開口一番──

「障害を理由とする差別的取扱いの禁止が法律に明記された。いよいよ無くしていくぞ!というあらわれです」

と力強くおっしゃいました。
法律の解説をするときに、「これは理念を述べている」だとか様々な留保をつけて話をされることがよくあって、そのたびに、ブレーキがかかって、つんのめってしまうような印象を受けるのですが、「いよいよ無くしていくぞ!」というのはすがすがしかったです。

講演の内容は、先だってパブリックコメントにかけられ(過去記事)、まもなく閣議決定の見込みの「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(案)」(案はこのページにあります)についての解説でした。配付されたパワーポイントスライド資料は、ぜひ内閣府のページに掲載して欲しいです。国民みんなが伝え合って理解を深めるべきものだと思いました。

以下、1ページ目と2ページ目の写真を載せておきます(クリックして拡大)。
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◆障害者差別解消法は、障害者基本法第4条を具体化している

1ページ目で確認したこと:障害者差別解消法は、障害者基本法第4条を具体化している。そして、1月に又村あおいさんに教えてもらったことですが、障害者権利条約批准に向けて、障害者基本法は改正されました。

障害者権利条約>障害者基本法>障害者差別解消法とつながっているんですね!

【参考】
・内閣府:障害者施策の総合的な推進−基本的枠組み−
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/wakugumi.html
⇒このなかにある、障害者制度改革の推進のための基本的な方向について【概要】(PDF形式:116KB)は、具体的にどう施策が進められてきたかわかりやすいので一見の価値があります。
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2ページ目で確認したこと:基本方針は、4つのブロックに整理できる。

1.障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する基本的な方向
2.行政機関等及び事業者が講ずべき障害を理由とする差別を解消するための措置に関する共通的な事項
3.行政機関等/事業者が講ずべき障害を理由とする差別を解消するための措置に関する基本的な事項
4.その他障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する重要事項

◆不当な差別的取扱いと合理的配慮〜行政と事業者の違い?

「2 共通的な事項」を読むと、行政機関等と事業者(いわゆる民間事業者)ともに、不当な差別的取扱いは法的義務として禁止されるし、合理的配慮が「求められる」ことにも、差はなくて、共通していることがわかります。

それでは、行政機関等と民間事業者とで違いがあるのはどこか? 「3」合理的配慮の提供が、行政機関等においては法的義務とされています。他方、民間事業者については、合理的配慮の提供については努力義務とされています。その理由は、解説にはこう書かれています。
事業者については、不当な差別的取扱の禁止が法的義務とされる一方で、事業における障害者との関係が分野・業種・場面・状況によって様々であり、求められる配慮の内容・程度も多種多様であることから、合理的配慮の提供については、努力義務とされている。

理由としては弱いのではないかと思うのですが、合理的配慮の必要な場面、求められる配慮の内容が、行政のようには定型的・一律には定義できないから、規範的な義務とするには、輪郭(適用範囲)があいまいだ、ということのようです。

この「法的義務としなかった理由」はとっても重要ですね。
なぜなら、定型的・一律に定義できるような合理的配慮が業界スタンダードとして確立すれば、主務大臣による行政措置のかたちで合理的配慮措置をするように指導等ができる可能性がでてくるからです。主務大臣医による行政措置については法12条に定められています。

例えば、鉄道など公共交通機関で、一律レベルの合理的配慮が実施され、スタンダードになっていった場合、そのレベルに達していない交通事業者に対して指導をするとか。物理的なバリアフリーがわかりやすいが、もちろんそれに限られたものではなくて、教育機関での人的な加員であったり、さまざまな配慮がありえます。

◆どうやって紛争を解決していくのか?

「4.その他障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する重要事項」が個人的には最も関心があるところでした。現実の紛争・対立をどう解決していくと法は考えているのか。
5 その他障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する重要事項2
 2 相談及び紛争の防止等のための体制の整備
 法は、新たな機関は設置せず、既存の機関等の活用・充実を図ることとしており、国及び地方公共団体においては、相談窓口を明確にするとともに、相談や紛争解決などに対応する職員の業務の明確化・専門性の向上などを図ることにより、障害者差別の解消の推進に資する体制を整備するものとする。

これを読むと、「新たな機関は設置せず」という箇所でひっかかってしまって、消極的な印象を受けるのですが、新たな機関の設置が「禁止」されているわけではなく、各自治体の判断で必要と判断すれば設置はさまたげられません。(フォーラム後半のシンポジウムのところで、大曽根寛氏(名古屋市障害者施策推進協議会会長)が「個人的見解」とことわりつつ、「名古屋市の場合、差別解消相談センターの設置などを検討するとよいのでは」と発言されていました。)

わたしが思ったのは、相談および紛争解決のための専門職員が必要だなあということです。「その行為は差別である」と判別し、宣告できる人が。
人の価値観はさまざまで、慣性の法則が働いているから、「考えを変える」ことは非常に困難です。「何が差別で、どんな合理的配慮が求められているのか」について、異論を持っている人に対応していくためには、知識や経験の蓄積があり、さらに人間観と信念が必要だと思うのです。そして、紛争解決のスキル(たとえばコミュニティーファシリテーター)も身につける必要があるでしょう。このような人材を、公務員のルーティンの人事異動のなかで育てることは相当難しいと思います。
もし万が一、差別を内面化してしまっている人が相談窓口に立ってしまったら、そこが差別の二次被害の現場になってしまいます。

これから、試行錯誤がされていくと思います。最初からできる人はいません(じぶんにやれといわれても責任の重さに尻込みするでしょう)。この仕事の難しさ、レベルの高さを自覚して、目標を目指して、学び続ける学び合うプロセス(そしてそれを支える体制)が大事だと思います。
この「相談窓口に立つ」ということが「尊敬に値する」とみんなが認めるような重要な職であるという認知がされていくことを望みます。

◆障害者差別解消支援地域協議会とは

最後に、「障害者差別解消支援地域協議会」について。
5 その他障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する重要事項4
 4 障害者差別解消支援地域協議会
(1)趣旨
 障害者差別の解消を効果的に推進するため、地域における様々な関係機関が、地域の実情に応じた差別の解消のための取組を主体的に行うネットワークとして、障害者差別解消支援地域協議会を組織することができるとされている。
(2)期待される役割
 地域協議会に期待される役割としては、適切な相談窓口を有する機関の紹介、具体的事案の対応例の共有・協議、協議会の構成機関等における調停、斡旋等の様々な取組による紛争解決、複数の機関で紛争解決等に対応することへの後押し等が考えられる。

まだイメージがわかないのですが、法がこの協議会に期待をかけていることは伝わってきます。

尾上浩二さんがおっしゃっていたとおり──「後押し」にもいろいろなレベルがある。「がんばってね」と一声かけるのも「後押し」です。地域協議会を実質的に機能させるためには、最初に柘植さんの言葉として引いた「障害を理由とする差別的取扱いを、いよいよ無くしていくぞ!」という魂をこめなくちゃと思います。

・内閣府:障害者差別解消支援地域協議会の在り方検討会
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html#kentoukai

このページに、平成26年1月から3月にかけて検討されて定められた障害者差別解消支援地域協議会体制整備事業の実施に係る同協議会の設置・運営暫定指針(PDF形式:301KB)があります。既にモデル実施が始まっており、中間報告会も開催されたそうです。

・内閣府:障害者差別解消支援地域協議会体制整備事業報告会の概要について
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai/houkoku/gaiyo.html

名古屋市でもモデル実施に手をあげて、始めるといいですね!(希望)

フォーラムに参加して、すぐには感想を書けなかったのは、「これはたいへんなことが起きているぞ」と思ったからです。もやもやする気持ちも同時にうずまいて。
それは、「これまで、差別に無自覚だったわたしたちみんなが、差別を解消するために努力をし合う」ことの尊さと困難さを思ったから。
なにかっていうと本音とタテマエを使い分けて、「本音至上主義」(「そんな理想を言ったって、できるわけないよ〜」)のわたしたちに、そんなことができるだろうか? 「合理的配慮を、逆差別!!」と吹き上がることもあるでしょう。

心に誓うのは、「負けない」ということです。

こわいなあと思う一面もあります。それでも。多様性を抱きしめ、みんなで、ルールとツールをつくっていく、オーナーシップを発揮して生きられる街がいい。

眠れぬ夜のやり過ごしかた

よく眠れるというのはそれ自体「恵み」だ。
身体は疲れているのに、目が覚めて寝つけない時、
パチッとスイッチを切るみたいに眠れたらどれだけいいかと考える。
卒園式
こんな夜は、あれだ、スーパー可愛いカコのわが子の写メなんかながめて、ほくそ笑んだりしてやり過ごすのだ。

チョコレート・ホリック

松坂屋のディスプレイ。チョコがだいすきでした。

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後列の大きなイチゴも気になります。(クリックして拡大)

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ピンクのFIATが可愛い。フィアットは名古屋の姉妹都市トリノ生まれ。

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大きな♡につつまれて

【報告】湯浅誠さん講演@あいち人権講座に行ってきました

1月28日に「あいち人権講座」での湯浅誠さんの講演を聞きに行ってきました。
湯浅さんは、草の根ささえあいプロジェクトができるきっかけをつくった人。この4年間様々なかたちで関わってくださっているわたしたちの「アニキ」的存在です。

昔は笑顔の写真はない戦闘的なイメージだった湯浅さんでしたが、イメチェンをして、イメチェン後の講演を聴くのは初めてだったのですが、語り方を変わっていました。聴衆の反応を見ながら、やさしく、わかりやすく、笑顔を見せながら語ります。まるで漫談みたい? 別にギャグを言うわけではないのですが、人柄が伝わってきて、じんわりと心があたたかくなります。

テーマは「人権」でした。「人権って、どこかにかわいそうなひとがいるから、みんなでやさしくしましょうってものじゃないですよ」と湯浅さんは言います。どういうことでしょう?

とても響いたお話を、みなさんにもシェアします。脳みそテープをもとに報告しますので、文責はカイパパにあります。

◆映画「みんなの学校」の紹介
 まず、湯浅さんイチオシの映画の紹介から始まりました。
 大阪市にある大空小学校では、全ての子どもたちが同じ教室で学ぶ。様々な困難を抱えた子どもたちが、周りにどんな影響をもたらすかを紹介している。示唆に富んでおり、ぜひ観てほしい。
(名古屋での上映は、3月以降にシネマテークにて。)

・みんなの学校
http://minna-movie.com/

 なぜこの映画をおすすめするか。湯浅さん自身の体験にそくして語られました。

◆湯浅さんのお兄さんのお話
 お兄さんには障害がある。子どもの頃は歩けたが、成長するにつれ筋肉が衰えていった。立てなくなった。
 お兄さんが子ども同士の草野球に参加したときの話。お兄さんは車いすで打席に入る。代走がホームベース近くに控えていて、お兄さんが打ったら代走が走る。ピッチャーは3メートル近づいて、下投げで投げる。お兄さんが参加できず、ただ観ているよりも、仲間に入れて一緒に遊んだほうが楽しい。だから、ルールを変えることで、お兄さんも参加して楽しめるようにした。
→子どもは、目の前にあらわれた課題を自分たちで解決する。

「野球のルールブックに書いてあるから」と決め付けてしまったらできないこと。
お兄さんがいることで、当たり前を当たり前と考えず、ルールを見直したり、新しく作ったりすることができた。

障害がある子が入ることで、みんなで考える。授業で学ぶのとちがって、その中を「生きる」ことで学ぶ一例。どうやったらうまくいくか? 正解がないから、その都度学びなおす。

学校に限られない。地域や職場、サークルでも同じ。「困った人」はどこにでもいる。「困った人」は実は「困っている人」。「困っている」ままにせず、乗り越えていく、新しいルールをつくれるか?
色々な人がいて、色々な人の多様性をつつみこむような地域は強い。
人権は、「かわいそうな人がいるから、みんなでやさしくしましょう」というものではない。自分の問題として向き合って、いろんな人がいろんな対応力を持っているヴァリエーションを増やしていく。それが、人権のまちづくり。

<2015.02.05追記>
このあたりのお話を、湯浅さんご自身がお書きになっています。

・社会活動家 湯浅誠:「身体で学ぶということ」毎日新聞「くらしの明日」に寄稿(2月4日掲載)

◆新人の生活相談員のお話
 湯浅さんは貧困に悩むひとたちの相談支援にずっと関わってきた。新人の生活相談員さんのお話。新人は、通りいっぺんの対応しかできない。すると、相談に来た10人のうち2〜3人は相談に来なくなってしまう。これをどう解釈するか?

Aさんの場合:「本当に困ったらまた来るでしょ。相談に来ないのは何とかなったんでしょ」(相手の問題)
Bさんの場合:「相談の時、別の言い方ができたら結果がちがったかもしれない」(自分の問題)

Bさんは、そこから改善の努力を始める。試行錯誤して、ある時相談者に「伝わった」という瞬間が訪れる。「わかった!!」と相談者の顔の輝きが変わる。⇒Bさんの自信がつく。Bさんからは、「大丈夫だオーラ」が出てくる。そうすると、相談者もBさんに対しては心を開きやすくなる。

一方のAさんは、「相手の問題」だから努力をしない。いつまで経ってもうまくいかない。Bさんの成功を見てなんというか? 「Bさんは相談者に恵まれている」。……あくまでも、「他人のせい」なんですね。

【課題を抱えた人を目の前にして】
 「自分が対処できる」と思う人(Bさんのように)
     ↓
 対処するため「考える」「工夫する」
     ↓
    成長する

一方、Aさんのように
「対処できないから排除する」と思う人
     ↓
解決できないという不安
     ↓
(1)キレる。or (2)見なかったことにする。

排除を続けると…
 「困った人」は「さらに困った人」となり、ついには「手のつけられない人」になってしまう。
 みんな本当は知っていた。見て見ぬふりをしてきた。向き合えなかった。

◆東日本大震災の被災地でのお話
 被災者は最低3度コミュニティーを壊されている。
 (1)避難所へ入るとき→(2)仮設住宅に移るとき→(3)復興住宅に移るとき。
 この過程は、わかりやすくいうと「だんだん壁が厚くなる」。プライバシーの面ではうれしいこと。しかし、関係が希薄になることも。だから、「壁に負けない関係づくりを」と言われている。

 では、心のケアのために、何ができるか?
 精神科医がカウンセリングで役に立ちたいと被災地に入りました。「何か相談したいことはありませんか?」と呼びかけても、誰も来なかった。「困っている人はいない」ということ? そうではない。心の相談をすることへの抵抗感があるのだろう。
 そこで工夫を考えた。

⇒齋藤環さんの例
 「医者です。血圧測定をします」と呼びかけた。
 血圧計は、古い機械を持っていった。しゅぽしゅぽして、測る時間がかかる。その間に話をする。

⇒足湯サービスの例(学生ボランティア)
 足湯はツール。1クール=15分間。ボランティアはその間話しかけることができる。気づいたことは書き起こされて、地域や行政に届けられる。

「大丈夫ですか?」と聞かれて「大丈夫です」としか答えられないのが多くの人。本当のことを話してもらうための工夫が必要。

◆「声なき声」をひろう工夫をする
「ひろえっこない」とか「声がなければ困りごとはない」という開き直りでは、問題は問題のまま沈降する。
 状況に合わせて、ルールやツールを自分たちで考えて作り出して、問題解決していく力。そういう力を備えた地域は強い。それが、人権のまちづくり。

◆感想
じぶんたちで、ルールやツールを考えてつくりだして解決していく──実は、この「じぶんたちで変えていいんだ」と思えないところが、一番の障壁だったりします。
「これは行政のやること」であったり「前例があるから変えられない」であったりと「じぶんたちで」というところに頭が行かない。でも、まちの主人(オーナー)は、わたしたち自身なんですよね。

平易なことばで、「オーナーシップ」や「エンパワーメント」のことを、語っているんだなぁ。
「たしかに、そういうまちのほうがいいな」と自然に思わせる語り。聴く気持ちにさせる話し方。これまでは届かなかったひとたちのところへ届かせようとしているんだと思いました。

ひとりの人間の生身の限界を前提として

人間は生身の存在だから、常に壊れ続け、それを補う修復と回復を必要としている。
エネルギーは失われ、細胞は死に、器官は摩耗する。
だから、食べて、寝て、細胞をつくり、再生する。
痛んだ心は、そのままにせず、やわらかく包みこみ慰撫が必要だ。
生命の危機が近づくと、熱がどんどん奪われていく。冷えて、こわばって、動けなくなる。温めないと。
温かい食べ物、おふとん、お風呂。

脆さとか弱さとか。ひとりの人間の生身の限界を前提として、仕事や生活を考えて、制度をつくっていかないといけない。
14時間労働、3か月間休みなし。だとか。人間は機械ではないから。傷つき壊れてしまう。
そういう至極まっとうな指摘が、逆に新鮮に思えてしまうじぶんも、身体性を失ったグローバリズムに洗脳されているのかも。

『脱グローバル論』を読んでの感想。


・216ページ 内田樹
国民国家というのは、親族を地域共同体、さらには国家という量的・水平的に拡大していった制度ですけども、幻想的には「拡大家族」です。国民たちは幻想的にも「一家」を形成している。だから、この列島に住む1億3,000万人をどうやって食わせるか、つまり、幼児や老人や病人や働きのないなまけ者を含めて、身内をどうやって食わせるかということが国民経済の根本的な発想になる。確かに国民国家は古めかしい制度ですし、政治的幻想ではあるんですけれども、いいところもある。それはこの政治的幻想が生身の人間のサイズ、生身の人間の寿命、生身の人間身体能力というものを勘定に入れて制度設計されているという点です。人間をモデルにして、制度が構築されている。生きてせいぜい80年、1日に8時間は寝たい、1週間にせめて1日はオフが欲しい、飯は三度食いたい、たまには温泉にも入りたい、そういう生身の人間の欲求や言動を基準にして、社会システムができている。

それに対して、グローバル資本主義は「人間じゃないもの」をベースにして、制度を作る。「人間じゃないもの」と言うより、「一時的にならなれるけれど、長期にわたってそうであることはできないもの」と言うべきでしょうか。時給800円で、1日14時間働いて、3カ月間休みを取らない労働者とか、あれもこれも人が持っているものは皆欲しがって、一生かかっても返せない借金を抱え込んでも買い物をする消費者とか。そういう人ばかりでできている世界のグローバル資本主義の理想社会のわけです。だから、そういう社会を目指して社会改革を推し進める。でも、生身の人間は、80年間そういうふうには生きられない。どこかで倒れてしまう。

・218ページ 内田樹
まず食わせなくちゃいけない身内がいて、彼らを食わせるために仕事を作り出す。そういう順番で平川君は考えていた。生産性とか効率とか利益率と違うところで、人間は経済活動や企業活動を行うこともある。それを支えているのは、身内という概念ですよね。身内というのは、ずいぶんと曖昧な概念であって、どこからどこまで身内に含まれるのか定かじゃないんですけれど。頼ってくる奴がいると、とりあえずそれは身内である、と。たぶん国民国家では伝統的にそういう考え方をしてきたんじゃないでしょうか。腹を減らして奴がいたら、とりあえず食わせてやろうよ、と。そういう惻隠の情があらゆる制度設計の根本にあった。

脆さとか弱さとか。ひとりの人間の生身の限界を前提として。周囲からしたら「問題があるひと」で「なんでそんなことしたの?」とか思われてしまう場合でも、血縁や地縁のある「現実の身内」には見捨てられても、なお、「まぁ、しょうがない。なんとかしよう」と見捨てず手を差し伸べてくれる存在。

「身内」を極限まで拡大した「家族」的国民国家なんてきしょくわるい、と思ってきたけれど。人生、弱さを抱え、個人ではなんともならない、崖や落とし穴に落ちる現実がある。「助けて」とすがれる、「しゃあない、おまえは国民だから」と無条件で手を差し伸べてくれる国であってほしい。
胸苦しいニュースを、見ながら思う。

2月7日開催「障害を理由とする差別の解消に向けた地域フォーラム」名古屋開催

先日パブリックコメントを出した、障害者差別解消法をテーマにしたフォーラムが名古屋で開催されます。わたしも聴きに行きます。
来年4月からの施行に向けて、これから具体的に障害者差別解消の方策が決まり、啓発も進められていきます。その過程も含めて、参画していきたいですね!

基調講演を行う柘植雅義さんは、文部科学省を退官されて現在は筑波大学教授であり、筑波大学附属大塚特別支援学校の校長でもあります。特別支援教育の第一人者です。
文部科学省特別支援教育課にいらした時に、発達障害者支援法の教育分野への適用に関してご尽力してくださいました。

・柘植先生プロフィール
http://www.trios.tsukuba.ac.jp/researcher/0000003540

この著書を読みました。お目にかかったことがないので、今回は柘植さんのお話を聴けるのもうれしいです。


【フォーラムのご案内】
・名古屋市公式ウェブサイト:障害を理由とする差別の解消に向けた地域フォーラム
http://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/page/0000065652.html
平成28年4月に施行される「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」についての基調講演及びパネルディスカッションを内閣府とともに開催します。
 障害者差別解消法を知ることを通じて、障害のある方への理解を深めます。

・日時:平成27年2月7日(土)13時から16時
・会場:名古屋市中区役所ホール
・入場無料
・要事前申し込み

申し込みフォームは別サイトでこちらです。
https://www.p-unique.co.jp/chiikiforum/

意思決定支援あれこれ

元旦の更新から、3週間も空いてしまいました。

この間、1月10日に、小牧市で権利擁護の講演を聞きに行ったり、1月11日に、プロジェクト部企画の権利擁護セミナー「本人のベストインタレスト」を開催したりと、いろいろと報告したいことが溜まってきています。とても得るものが多く、考え続けています。

実情を知り、現実はこれでいま回っているのだとわかる。極端な不都合は生じていないから、報道されることも少なく、意識されることも少ない。
でもそれは、「本人の意思」をくみとれていないことや、くみとれたとしても、「実現が難しいから」という理由で「意思」が無視されてしまっている──しかし、そのことが「問題」だと認識されていない。「問題ありません」という報告の中身に問題があるのだ。

本人の意思はある。本人の意思決定が実現していないこと自体を、「問題視」することから始めていかなきゃいけない。
無自覚に、他人(わが子も他人)の権利を無視してしまっているのが問題。

「親だから、子どものことを一番考えているのだから、親が決めればOK」ではない。
「意思がないんだから、他人が決めて当たり前」となっていないか? 
「本人の最善利益を考えたら、どうしてもこうしなければならない」という場合でも、その決断を、痛みを伴う自覚をもってできるか?

こうままさんが昔から、「違いのわかるオトコに育てたい」と言い続けていて。
それは、「選べる」ひとになることを言っている。
「選べる」ようになるには、じぶんの意思で「選ぶ」経験を小さい時から積み重ねることが必要で。常に、誰かが決めた「結果」を押し付けられて生きてきたら、「選べる」ようにはならない。

「選ぶ」ためには「選択肢」が要る。「あれかこれか」の2択や3択だけでは足りなくて、ほんとは、「その他」っていう選択もある。親は、実現がしやすい選択肢を提示しがち。選択のテーブルにあがっていない「その他」は、実現が難しい(それは、不可能ではなくても、手間がかかる)。

──でも、もしも、カイが「その他」をじぶんで選んでくれたら、僕は喜んでなんとかしてかなえたいと思うだろう。障害の重さを痛感するのは、新しい経験を望まず、決まりきったルーティンを選び続けることの方だから。

やっぱり、挑戦の機会を与え続けることが肝心だ。
「イヤ」という拒否は、「その時の彼」の意思だが、ベストインタレストを将来的にも実現していくためには、体験したことがないことを体験してみて、好きだと思えるコトを増やす挑戦を続けていきたい。

5行で終わるつもりが、書き始めたら、こんなに。まとまりもないひとりごとです^_^;。セミナーの報告は、あらためて書きます!

こうままさんの1月11日「本人のベストインタレスト」レポートはこちらです

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わたしと同い年、共通点が多い、又村あおいさんは「意思決定支援は、まだまだこれから議論を深めていく時期」と何度も繰り返されていました。

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