カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」に行ってきました!

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」に行ってきました!

名古屋の姉妹都市であるトリノ発の知的障害のあるアーティストたちの作品展です。
肩の力の抜けたおかしみと明るい色彩が気持ちいい。とっても気に入りました。

特に、レコードジャケットをモチーフにした作品がツボでした。
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これとか。I'm BAD!

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これとか。Do I smell like teen spirit?

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これなんかサイコー♪ I am a creep.


「作品が欲しい」と思ったら、カレンダーのクラウドファンディングをやっていました。さっそく応援しました! これは、自信を持っておすすめできます。ぜひぜひぜひ応援して成立させたいです。

・イタリアの知的なハンディがある人びとがデザイン!POPでROCKなカレンダー
https://www.makuake.com/project/stu-art/

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」は、ナゴヤドームのとなりにある「市民ギャラリー矢田」の第1展示室(階段のぼって3階です)にて10月12日(祝・月)まで開催中です。入場無料。ぜひ生で観てほしいです!

おなじ建物のなかにある東図書館では、「名古屋トリノ姉妹都市提携10周年記念 関連図書展示」もやってました☆
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「みんなの学校」批評を紹介


■「普遍的なルールを順守させる」責任を背負った教育を観て:lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/touch/20151005/1444061458

lessorさんの記事を読んで。

映画「みんなの学校」についての批評が、ようやく出てきて読めたと感じています。自分の知るかぎり、映画の感想か、批評でも激賞が多かったので。

lessorさんの根源的な問いかけが響く。

「みんなの学校」とは手段なのだろうか目的なのだろうか。

わたしは3月に観て、感想をメモったまま、記事にしていなかった。近々まとめたい。

夜回りカイくん

散歩とブログ毎日更新がいい感じで続いています。

おさんぽコースは、だいたい3パターンあって、一番頻度が高いのが「近所のスーパーパトロールコース」です。

スーパーに着くとカイはカゴを自分で取り、やる気満々。でも、買い物をするのではなく、陳列棚の中で「迷子」になった商品を見つけて「あるべき場所」に戻すのが彼のルーティン。

ほんとに目ざとく見つけて! これまた「あるべき場所」をよく記憶しているんですよね。

この前ちょっとこまったのが、季節限定の「栗キャラメル」。

野菜売り場に「栗関連の特設コーナー」ができていて、その中に「栗キャラメル」もありました。

ですが、1個しかなくて、品名の表示もない。いかにも「迷子」っぽい様子。おまわりさん(カイ)は、すみやかに「栗キャラメル」を保護しました。そして、お菓子コーナーへ急ぎます。
ところが、キャラメルコーナーには定番商品以外はなく居場所が見つかりません。

ぐるぐるお店をふた回りくらいして、やっぱり最初の栗特設コーナーが居場所だろうと(わたしが)判断しました。

カイは不満げでしたが、保護したつもりが誘拐になってはいけないので、おさめてもらいました。
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これです! 画像は森永商品紹介ページからお借りしました。

他人の否定的評価に応えすぎる傾向

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アンケートを例にして考えてみる。

たとえば、イベントを主催して、当たり前のようにとるアンケート。お客さんの評価を聞くために。

アンケートでは、ネガティヴな意見も返ってくる。
ポジティブな意見は「優等生的な、主催者に気を使っている」かもしれないが、「厳しい意見」には「おべんちゃら」ではない真実がある、だから「ネガティヴな意見こそが正直な意見だ」とおもう人がいる、って、まあ、これは、わたしのことなんだけど。

(実際にはイベントではないが)アンケート的なもので、29人の好意的な意見をもらったが、1人の強烈な批判意見をもらって、落ち込んだ。
自分なりに、挽回するための改善案を考えた。一応の案ができてひと区切りついて冷静になってみると「あそこまで1人の意見に心が引きずりおろされることもなかった」と思う。

1人の否定的意見によって29人の意見が「0」になるような影響をたやすく受けてしまうようでは、危ないと思った。

これって、誰からも嫌われたくないだとか、100点をとりたいとか、そういう志向の現れなのかな?

まだまだだなぁ。

お誕生日おめでとうございます!

友人のお子さんが17歳の誕生日を迎えました。お父さんであるタロ父さんは、わたしが最初に友達になった自閉症の子を持つ父親で。一緒に飲んだり、活動したり、泣いたり笑ったりした仲です。

彼は、生死の境をあやうく越えそうになる経験をし、わたしも同じような経験をして。
今日、お互い生きてこの日を迎えることができて本当にうれしく思います。

Facebookで流れてきたファミリーの全力で楽しんでる写真、無心の笑顔に泣けてきました。

隆太郎さん、お誕生日おめでとうございます! きみの前途に幸あれ。

タロ父さん、タロ母さん、長かったようで、あっというまに大きくなりましたよね。お二人のこれまでのがんばりと愛情に敬意と限りない共感を!
いつかお茶でもすすりながら昔話に花を咲かせましょう。おめでとうございます。

ゲド戦記読了

ゲド戦記を読み終わりました。
しみじみと長い旅を終えた余韻を味わっています。
親友が「心のベストテン第1位だ」といった気持ちがよくわかります。

ゲド戦記は、6冊のシリーズです。シリーズ3作目までの前半は大魔法使いゲドが活躍する冒険譚です。
後半はガラリと趣向が変わります。物語の世界は、秩序が揺らぎ、確信を失いかけています。女たちが、世界の成り立ちに対して違和感を感じ、行動する姿が目立ってきます。ひどい子どもの虐待も描かれます。

解説を読むと、第3作である『さいはての島へ』から第4作が1990年に発表されるまでに、18年の間があったそうです。そして、さらにそこから11年が経って、『ドラゴンフライ』と『アースシーの風』が発表されました。

調べてみると、初めの三部作は、それぞれ1968年、1971年、1972年に出版されています。このときは、児童文学として書かれ、世界の光と闇、行動と結果、意志と責任についてを物語っていますが、1990年、2011年に出版された後半の三部作は、もちろん児童文学ではありますが、かつての読者の成長に合わせるかのように、キャラクターの成長、世代交代とアースシーの世界の変化を通して、深化、変化した「世界(※物語の外の読者がいる世界)の在り方の見直し」を問いかけているようです。

時代の変遷による現実世界の変化が、ファンタジーの世界へ投影されていて、アースシーの物語の中で悩み苦しみ、解決の旅に出る主人公たちは、読者である私たちの分身でもある。このような感覚は、ゲド戦記が長い時間をかけて書き継がれたが故の同時代性のなせるわざだと思います。

これは、子どもだけが読むのはもったいない。大人が、物語の寓意を読み解きながら、世界を見る眼の曇りを拭い取るためにいい本ですね。

出版時にリアルタイムで読めていたら、もっと良かったのに!と思わないでもありませんが、今だからうけとめられる器ができたのかもしれません。出会えてよかった。折をみて、このブログでも感想を書いていきたいなと思っています。

出会わせてくれた鶴見俊輔さん、岸政彦さんに感謝します。
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「内圧」と心理学

社会の問題を全て個人の責任に帰してしまう圧力とその圧力をじぶんの中に取り込み(内面化し)「内圧」としてじぶんを責め続ける苦労を整合的に「対処」させるための心理学的テクニックは「いかがなものか」と思わなくはないが爆発よりは散発させて少しでもおだやかな心の平安を手にしたいがためにすがることを責めることはできない。

「治りませんように」




『治りませんように』べてるの家のいま
斉藤道雄 著の書評というよりエッセイを読んだ。斉藤さんの「降りていく」体験を、書評者の体験と引き合わせて、理解・共感の橋をかけることを丁寧にしている。読んでよかった。

「治りませんように」は、「病気があって幸せ、治りませんように」という川村医師の、七夕短冊に記した何気ない言葉から来ていると教えてもらいました。

なんとも言えない、深く、複雑なことばですね。
このことばを唱えるとわたしのなかに、不思議な胸さわぎと安心とが、アンビバレントな感情になって広がります。

語るより、味わいたいことばです。

「治りませんように」

おれは花嫁の父親かっ

最近も夜のお散歩つづいています。だいぶ涼しくなりましたが、いいペースでカイが歩くので、帰る頃には汗が出てきます。だいたい1時間ぐらいでしょうか。

「決めごと」の多いカイは、わたしと歩く時は必ず手をつなぐ、のではなく、
ひじをあげた腕と腕を組むスタイルを強要してきます。

まるでヴァージンロードを歩く花嫁の父親のよう。

いつか「決めごと」も変わっていくと思うので、とりあえず「味わい尽くす」ところまでつきあいます。肩がこるんですけどね。

心理的なブロッコリー

iPhoneの予測変換で「心理的なブロッコリー」とひと続きで出てきて、「?」となって。何か俺の知らない映画とかアニメがあるのかと思い、検索してみたら面白い記事を見つけた。

現実逃避的な食事を避けるために活用したい「ブロッコリーテスト」

ストレスで、つい食べることに逃げたくなる場合があります。この食欲は、本物なのか? それをチェックするための「ブロッコリーテスト」。

「私はいま、ブロッコリーを食べたいか?」と自問しましょう。答えが「はい」ならお腹が空いています。どうぞ食べてください。

答えが「いいえ」なら、感情的に空腹なだけで、身体は実は空腹ではありません。あなたは何か他のもの(ストレス発散、気晴らし、ちょっとした現実逃避など)を求めているのです。このテストの考え方は、身体が空腹であればどんな食事でも魅力を感じる、というものです。もし野菜に魅力を感じないのなら、身体は空腹ではないのです。

「もしブロッコリーに魅力を感じないならば、身体は空腹ではないのです」

世界中のブロッコリーが今泣いたね。
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