カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

おれは花嫁の父親かっ

最近も夜のお散歩つづいています。だいぶ涼しくなりましたが、いいペースでカイが歩くので、帰る頃には汗が出てきます。だいたい1時間ぐらいでしょうか。

「決めごと」の多いカイは、わたしと歩く時は必ず手をつなぐ、のではなく、
ひじをあげた腕と腕を組むスタイルを強要してきます。

まるでヴァージンロードを歩く花嫁の父親のよう。

いつか「決めごと」も変わっていくと思うので、とりあえず「味わい尽くす」ところまでつきあいます。肩がこるんですけどね。

心理的なブロッコリー

iPhoneの予測変換で「心理的なブロッコリー」とひと続きで出てきて、「?」となって。何か俺の知らない映画とかアニメがあるのかと思い、検索してみたら面白い記事を見つけた。

現実逃避的な食事を避けるために活用したい「ブロッコリーテスト」

ストレスで、つい食べることに逃げたくなる場合があります。この食欲は、本物なのか? それをチェックするための「ブロッコリーテスト」。

「私はいま、ブロッコリーを食べたいか?」と自問しましょう。答えが「はい」ならお腹が空いています。どうぞ食べてください。

答えが「いいえ」なら、感情的に空腹なだけで、身体は実は空腹ではありません。あなたは何か他のもの(ストレス発散、気晴らし、ちょっとした現実逃避など)を求めているのです。このテストの考え方は、身体が空腹であればどんな食事でも魅力を感じる、というものです。もし野菜に魅力を感じないのなら、身体は空腹ではないのです。

「もしブロッコリーに魅力を感じないならば、身体は空腹ではないのです」

世界中のブロッコリーが今泣いたね。

不可逆的2 村上春樹さんの言葉

「不可逆的」について書いたその夜に、ナイト・キャップがわりに(わたしは酒を飲まないので)毎晩少しずつ読んでいる『村上さんのところ コンプリート版』で、こんなやりとりに出会いました。

赤ちゃんがお腹の中で亡くなってしまって、そのことがわかった病院の待合室で、泣くのをこらえるために『羊をめぐる冒険』を読んで。読者が手紙にこう書きます──
「もう失われてしまって、二度と戻ってこないこと」というのが、わたしはそのときまでぴんときてなかったのですが、そのことばが、わたしの心にすっと添ってくれたように思いました。悲しみは消えないけど、それでずいぶん救われた気がします。

それに対して、村上さんはこう応えます──
お気の毒です。とても悲しかったと思います。どうかその悲しみを抱えて生きていってください。それも生きる大事な意味のひとつだと僕は思います。「悲しいことは早く忘れた方がいいよ」と言う人もいるでしょうが、悲しみを忘れないこともやはり大事です。

わたしは、じぶんに向かって、村上さんが声をかけてくれたように感じました。

「悲しみを抱えて生きる」

たぶんそうだ。そういうことなんだろう。

不可逆的

わたしは言葉が好きだ。知らない言葉に出会うと意味を知りたくなる。語源にも興味がある。

今朝、歩きながら、この言葉を知って「影響を受けた」言葉ってなんだろう?と考えていた。
名言とかそういうのではなくて、単語それ自体で。

思いついたのが「不可逆的」という言葉だった。

「変化が起きて、もう元には戻らないこと」

この言葉の冷徹さを思い知ったのは、リハビリテーションに関する本を読んだ時だった。
事故や病気で損なった機能が、元のようには戻らない。不可逆的変化が起きてしまった。

その後、子どもの障害がわかり、「治癒可能ならそれは病気で、治癒ができないから障害」だということを知り、初めて「不可逆的」の真の意味を実感した。

たくさんの小説や映画で、タイムトラベル物がつくられるのは、「起きてしまった変化を過去に遡って変える」願望を人は常に持ち続けているからだろう。この願望を消すことは、人の感情から「後悔」をなくすことだから、まず不可能だ。

「元に戻す」ことはフィクションのなかでは成功しても、現実では起こらない。

やってしまったこと
言ってしまったこと
起こってしまったこと
知ってしまったこと
損なわれてしまったこと

もう元には戻せない。
起きた変化を前提に、未来をつくっていくだけだ。

でもなんで…
どうして……
悔いは消えない。

「どうにかできたんではないか」「避けられたのではないか」そう思う気持ちは包帯の下でにじむ血のように。心の奥で痛み続ける。そういう日もある。

【日記】iPhone6s

iPhoneを新調しました。前のがiPhone5だったので、3年ぶりの更新です。クーポンや下取りや月々の割引で、毎月の支払額は少し高くなるだけだというのが、よくわからないですね。これなら買い換えたほうがいいってことになる。長く同じ機種を大事に使うことが奨励されてないというか。かといって、下取りしてくれるわけだから、古い機種のニーズもあるんだよね?謎だ。

今回、スーパーアップグレードキャンペーンに登録してみました。1年後に新機種に乗り換えた時に、機種代金の残り7か月分が無料になるというもの。たぶん下取りと同じような額の割引なんだけど、iPhone7がよかったら変えたくなるかもしれないと思って。機種変更しなければ払った分のキャッシュバックがあるのでどちらにしても損はなさそう。

plusにするつもりだったのですが、重くなったと聞いてやめました。それは正解だったかな。

カメラやビデオが良くなってるとか、これから試していくのが楽しみです。

そんなにあわてて予約したわけではないのに、発売日翌日に手に入るとは少し驚きました。iPhoneというと行列…のイメージでしたが、今年からは完全予約制になったんですね。手続も30分で終了。システマチックでした。iPhoneもふつうの商品になってきたようで少しさびしいです。

自分のなかに居座る他人

このところ(何年も)、「内面化する」ことが気になっています。

社会の価値観を自分のなかに取り込んで、自分の価値観とすることは、ごく当たり前に起きることだけど。それが、本来の自分の望むこと、こっちへ行きたい、という自由を引きとどめるかたちで機能することがある。

「世間の目」なのに、内面に取り込まれているから「自分の意思」でストップをかけていると思っている。実はそれは「フタ」であって、フタをされた中には望みが抑圧されている、みたいな。

今朝書いた文で、この「内面化」をイメージとして伝わるようにやっとできた気がします。

「自分のなかに居座る他人」

他人の評価にとらわれる、ということは、自分の中に「他人」を入れて監視をさせることだ。
それは仮想の「他人」だから対話もできない。無慈悲に自分を踏みにじる。
自由に生きるには、「他人」を自分の中から追い出すこと。「外」においておくことだ。

【開催告知】10月25日:親と支援者とで虐待を本気でなくすセミナー

愛知県自閉症協会・つぼみの会では、10月25日(日)に「親と支援者とで虐待を本気でなくすセミナー」を開催します。

申込を開始しました。詳しくは、プロジェクト部blog@愛知県自閉症協会・つぼみの会をご覧ください。
http://tubomiproject.blog.jp/archives/43733766.html


さまざまな立場のみなさんと一緒に考えたいです。ご参加お待ちしております!

【日記】休みにタスクは持ち込まない(ようにしたい)

シルバーウィークも残すところ、あと1日。
プロジェクト部企画会議に弟ファミリーの来訪と充実していました。

ひとつ「失敗したなあ」と思うのは、「連休中にやろう」というタスクを持ったまま連休を過ごしたことです。案の定、今まで手がつけられず、気持ちの中で「やらなきゃ」と感じ続ける状態でした。

やっぱり休みは心置きなく休めるように、休み前にがんばってタスクを片付けよう。

明日は、「仕事日」に設定してタスクをやり遂げることにします(はじめからこうやって割りきっておけばよかったです)。

お手玉めだまおとし遊び

この連休は弟家族が遊びに来てくれていて、にぎやかなわが家です。
わたしたちのおいっこ3歳児くんとめいっこ1歳半ちゃん。

お手玉をわたしのアタマに乗せて落とすだけで、爆笑し、
お手玉2個をわたしのメガネにのせて落としたら、大爆笑!!!

何がおかしいのッ?って思うくらい何度も何度もキャ〜〜〜ッと大笑いして喜んでくれます。
それを見て、大人たちも大喜び。
わたしは、ひとつの新しい遊びを発明した気分で鼻高々です。

こういう体験はほとんどしたことがないので、新鮮で、いやされますね。

茶話会や座談から生まれるもの

昨日のプロジェクト部の教育班のキックオフで、教育班リーダーの花島さんが「教育座談会」とネーミングしたことには意味があると思いました。

教育に関しては特に、みんな色々な経験をしてきている。挫折のなかった人はいないと思います。
だから、とてもセンシティブで、かんたんに本音を話すことができません。
「困っている」とか「こうして欲しい」とか、口にだすこともいけないんじゃないか?とまで思っている場合もあります。

「子どもを人質に取られているから」という言葉を、親同士で話しているときに、よく聴きます。

この言葉が、親の心理を象徴しているように思います。
つまり、「親が親として思っていることを自由に言ったり、行動することができない」という囚われている感覚です。

コミュニケーションが妨げられている状態に長く置かれていると、自由な心の表現がしづらくなってきます。「言ってはいけない」という禁止が、自らの中に規範として「内面化」されていくからです。

だから、「教育を良くするためにアクションを起こす」前に、この「言ってはいけない」という自らがかけてしまった鍵を解錠しなければならないのだと思います。

そのためには、テーマも「願うこと」といったふわっとしたものにして語り合ってみる場がこわばりを解くためにとても意味がありますね。茶話会や座談会のようなものを、何度も積み重ねていくことで、自由な話し合いができるようになっていけるでしょう。そうなれば、本来もっていた「力」が発揮できるようになると思います。

わたしがやりたいこと、果たしたい役割は、こういうエンパワメントなんだな。それは、ずっと変わりません。昨日も、会の最初とくらべて明るくなったみんなの顔をみて、感動をしていました。この人は、こんな表情で笑うんだなとか。変わるんですよね。

次回の開催も楽しみです。
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