
【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(3)
・【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(1)
・【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(2)
からの続きです。
★7 「チャレンジに満ちた新しい世界」
私のサイトのサブ・タイトルは「自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界」です。これは、天から降ってきたように、スッと思いつきました。これでいいのかどうか検討を加えてみましたが、タイトルと合わせて私のやろうとしているコンセプトは「これに尽きる」と決定しました。
私にとって、カイを「チャレンジド」と呼ぶことはものすごく自然なことなのです。
「自閉症は文化である」とTEACCH部創立者ショプラー教授が価値転換を図っているように、わが子にとって、この世の中は異文化社会であり、わかりにくく、とても不器用で不利を背負ったカイは、やはり挑戦を受けている。
そして、限られたツールで、勇敢に立ち向かい、日々成長していく姿を毎日見ている。
「チャレンジド」は単なる言いかえや「だからガンバレ!」といった無神経なスローガンではない。
そして、特殊な存在を表す呼び方でもない。
たまたま、偶然性が支配するこの世界で、確率によってチャレンジを受けることになった人々のことです。
★8 ノーマライゼーションの思想との関係
ノーマライゼーションの思想は、
・一定の確率で、障害をもった子どもは生まれる
=この社会は、初めから障害を持つ人も含んでいる。したがって、特別な場所に隔離するのではなく、同じ地域で「あたりまえの暮らし」ができる社会が「ノーマルな社会」なんだという考え方です。
チャレンジドとノーマライゼーションの思想は互いに相通じる、対概念のようなものだと私は考えています。
★結語
というわけで(長かったですねぇ)、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界〜は、チャレンジドという思想・ことばを積極的に使っていきます。
【連載記事】
・【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(3) 2004年2月19日
・【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(2) 2004年2月18日
・【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(1) 2004年2月17日
【付記】
(1)「障害者」という用語・用字について
ただし、「障害者という言葉」で私が書いたように、障害者という用語も必要に応じて使うことをためらいません。その理由は、
・「障害者」という用語・用字は法律用語であり、日常用語である
・私は、「障害者」という言葉を「(様々な条件によって)生活に不便を感じている人」というニュアンスでとらえている
したがって、私個人としては、「差別語としての臭い」はついていないと判断しているからです。
(参考)
・【用語】障害者
・【用語】言葉ににおいがしみつく
(2)Silent Voiceに実際にアメリカ社会で生活されて感じ取った「チャレンジド」の意味について記事があります。ぜひお読みください。
・"Challenged"とは
・神から与えられた試しとして障害をとらえる
(3)Atopic Informationが「チャレンジド うーむ深い」で提起されている問題意識――
それでも差し引いて「やっぱりしんどい。」という部分があるのである。ましてや肉体的、精神的にボロボロの状態のときは、奮起する気そのものがそがれる「ネガティブスパイラル」によけいに陥ることもある。平常時においてさえ、これだけで奮起できるほど単純には割り切れず同時に戸惑う自分もいる。そんなに大衆の心を打つ必要があるのだろうかとか、裏を返せば、そこまで情熱を持ち、自分を、他人を鼓舞し続けねばならなければならなくなる状況というものがよけいに哀しくなるのである。思い通りにならず一生涙し続けるのか、「そんなのは嫌だ。」と何とかしようと努力することに、レベルや量に個人差はあったとしても疲れるのも人間だ。そして、その限界を知ることもまた頑張りすぎてつぶれてしまうのを防ぐバランス感覚も同時に必要なのかもしれない。
「そうは言っても、〈ガンバレ!〉と言われた気がして疲れてしまう状態についてどう考えるのか?」については、3か月達成の日に記事を書く予定です。あらかじめ言っておきますが、私にも答えはありません。今考えている試行錯誤について書きます。
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言葉は使い続けていれば、いつのまにやら人の中に入り込んでくるものなので、私も積極的にこの言葉を使っていくことにします(まずは文章表現からのアプローチかな)。