opinion
【用語】言葉に「におい」がしみつく
 カイパパ@4歳自閉症男の子の父親です。日曜日は、ちょっぴり「よそゆき」な感じで、オピニオンと題して私が考えている意見や視点をささやかに表明しています。

★はじめに
 先週のオピニオン(2003年12月7日記事「メインストリームの子どもたち」)で、私は「健常児」という呼び方を「メインストリームの子どもたち」(多数派、主流の子どもたち)と呼ぼうと提案しました。一方で、「障害児」という呼び方については触れませんでした。
 今回は、障害児という呼び方を議論する前提について考えていることを書きます。

★あるエピソード
「今日電車の中で、チテキがさあ、わあわあ叫んでいて、最悪だったよ」ある高校生の会話。高校教諭をしている友人から聞いた話です。ここで彼が言う「チテキ」とは「知的障害者」のことのようです。

★言い換えられた用語 精神薄弱から知的障害へ
「知的障害」という用語は、1999年から、それまでの「精神薄弱」という語を改め、現在の法律の正式な呼称として使われることになりました。

経緯について参考HP

 「知的障害」は「精神薄弱」に比べ、「中立的で否定的な響きが少ない」として当時障害者団体などからの運動によって改正された経緯があります。このとききっと関係者は「これからはセイハクと差別的に呼ばれなくなる」と胸をなでおろしたと想像します。

 ところが、先ほどのエピソードの発言に込められた「チテキ」という言葉には、自分とは違う劣った存在に対する差別意識が込められているように感じます。

★言葉に「におい」がしみついていく
 差別語の議論を読んでいくと、ある共通した認識に気がつきます。

・言葉それ自体に「差別」はないのではないか ※1
・使用される文脈、経過によって「差別語」となっていく ※2

 たとえば、「知恵遅れ」という言葉について、「遅れているだけで、いずれ追いつく」というポジティブな意味が込められているから自分は好きだと主張する文章を読んだことがあります。しかし、私の感覚としては、「知恵遅れ」には差別意識が込められている感触があります。それは、子どもの頃の会話の中で、悪口やバカにした時の表現としてひんぱんに使われていた体験が根っこにあるからです。

 他人をバカにしたり傷つけたりするために使われることで、言葉が差別語に変わっていく――この事情を「言葉に、においがついていく」と表現している文章を読み、そのとおりだと思いました。※3

 いくら中立的な表現でも、差別的な意味を込めて使い続ければ「言葉ににおいがしみついて」差別語になっていく――なんとも憂鬱な気分になる結論です。
「じゃあ、私はどうしようか?」について、(私の関心の範囲内で)次回お話したいと思います

(続きます!)

※1 漢字や要素となる語自体がもつイメージ喚起力の問題はあります。たとえば「痴呆」という用語。「障害者」という呼称の議論もこの点を問題視することが多い。
※2 ここでの差別語とは〈当事者が不快感を感じる言葉〉としておおざっぱに使用しています。
※3 すみません。三浦つとむだったと思うのですが、わかりません。原典を探し出せませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください。