■ありがとう!(4) 感想コメントを寄せていただいた方々へ(3)

 数回に分けて『ぼくらの発達障害者支援法』への感想コメントを寄せていただいた方々へ、お礼のコメント返しをしています。今回は、11月21日にいただいたaquaさんのコメントにお返事を書きます。

★aquaさん

 感想コメントありがとうございます。
よくもこんな悪法を作ってくれましたね。
どれだけこの法案によって苦しめられているか
あなたには想像がつかないでしょう。
実際の支援の内容を明らかにしてから、
本を書いてみてはいかがでしょうか?
Posted by aqua at 2005年11月21日 20:57

 aquaさんの苦しみを思って、胸が痛みます。
 そして、私の本が、ご期待にそえなかったことを申し訳なく思います。

 私なりに考えていることをお話しさせてください。

◆発達障害者支援法に対する2つの反対意見

 発達障害者支援法の成立の過程で、立法に反対する意見がありました。去年の今頃、国会の委員会に法案提出する直前に到ってもなお「修正」と「議論」を行っていた事実があります。
 当時の法案の論点は大きく2つあったと私は考えています。

(1)法律によって「新たな障害」を国が「つくる」のではないか?
   →差別助長につながるのではないか。
(2)「給付」を伴わない法律は無意味である
   →「中途半端な法」ならつくらないほうがいい。

(1)は、
・そもそも「寝た子を起こす」ような法律は不要である。
・「支援」は自力で獲得する(あるいは足りている)から、法にする必要はない(法にすることによる悪影響の方が大きい)。
・むしろ、当事者の行動が監視・管理・制限される自由侵害の可能性が強いのではないか?
 ということを意味していて、
「公による支援の必要性<法によるカテゴリー化の悪影響」
 を問題にしています。

一方、(2)は、
「支援がこんなにも必要であるにもかかわらず、発達障害者支援法が提供できていない」ことを問題にしています。
 つまり、
「発達障害者支援法が保障する支援<必要とする支援」
 を問題にしています。

◆反対意見に対する私の考え

(1)法律によって「新たな障害」を国が「つくる」のではないか?――について

 多くの人に「違和感」を感じさせる少年犯罪が起きて、その報道の中で「発達障害」の文字を目にすることが現実に続いています。このことが、差別・偏見の助長や、「社会防衛」的な観点からの監視・管理の要求につながらないか――私も心配しています。
 ただ、このことは、実は発達障害者支援法があろうがなかろうが、発生していた現実ではないでしょうか(この法律が成立する「前」の1年以内に、私が知る限りで3件の事件報道がありました)。もっといえば、今後生じることが予想される差別・偏見・無理解に対し、立ち向かっていくために立法がされたというのが私の認識です。

【参考】
よこはま発達クリニック:豊川事件について
『発達障害者支援法ガイドブック』の中の野沢和弘氏の論稿p.90、280以降

 このことは、『ぼくらの発達障害者支援法』の中での、厚生労働省の大塚専門官の発言からも明らかです。
 あのような事件でやはり一番無念だったのは、なくなった方だと思います。本当にお気の毒だったし、そのご家族も、そして加害者や加害者のご家族も、無念だったと思うんですね。
 もちろん発達障害そのものと、行った行為の因果関係は断定できないし、わからないことだと思います。しかし、そういう障害があって、いろいろな困難な状況があった時に、そこに適切な支援があったらということを思うわけです。
 ですから、その人たちを支援するシステムを、行政を含めて地域が、市民が、責任をもってつくっていくというのが、これからの社会ではないかと思うんです。そうじゃないと無念さだけがいつも残ってしまう。それをなんとかみんなの問題としてやっていこうという意識が常にあります。
 ――「大塚晃障害福祉専門官インタビュー」(p.100〜101)

「周囲の理解と適切な支援があれば、救われたのではないか?」という問題意識が、立法の根底に流れています。

 また、「当事者の行動を監視管理されたりする自由侵害の可能性がある」ことについては議論がされ、当初の議員連盟の案が国会上程までの間に練り直されており、委員会での確認するための議論がなされています。また、発達障害者支援法の附帯決議第7項もこの問題意識に立つものです。
(この点については別の機会にお話したいと思います。参考:『発達障害者支援法と今後の取り組み』p.50、203)

(2)「給付」を伴わない法律は無意味である――について

「支援がこれほど必要であるのに、発達障害者支援法が提供できていない」こと、これは立法者も認めていることです。私もわが子への支援や本当につらい目にあっている友達のことを思うとき、なぜ? こんなに総論的な規定しかないのだろう? と歯ぎしりしたくなる時があります。

 本を作るときに、色々と考えました。
「具体的な支援」を本に盛り込もうとしても、法文からは一義的に出てくるもの(発達障害者支援センターなど)はわずかです。
 そうだとすると、本には、法律ができる前からの先駆的な取組みを紹介するか(このことを実現している重要な本が『発達障害者支援法ハンドブック』です。)、私が考える理想の支援のアイデアを提案するか、しかない。
 私は、現行の法律のありのままの内容をできるだけわかりやすく紹介する道を選びました。そして、この法律の持つ「可能性(に今はとどまっているもの)」を「実質化」「具体化」させるために自分たちにできることは何か? を真剣に探し提案することにしました。

 発達障害者支援法は、3年後に見直しをする時限があらかじめ決められた法律です。2005年4月1日から3年間。2008年1月の通常国会に改正案が上程されると想定されます。当然それよりも前に「案」はつくられる。期限があるのです。残された猶予は、今日から丸2年間です。
 それまでに、「必要とする支援」と「方法」「提供するための資源」を明らかにして、現行法で「できたこと・できなかったこと」を明らかにして、よりよい改正法につなげる――そのためのやり方の提案を『ぼくらの発達障害者支援法』の第3部で行いました。

◆改正に向けてできることをやっていきたい

 私は、発達障害者支援法が施行されてからの発達障害者への支援に関する報道の収集を続けています。色々な地域で、ひとつひとつは小さいかもしれないけれど、未来を予感させる動きを感じます。この動きを紹介し共有して、2年後の改正に向けて流れをつくっていきたい。その役割の一端をカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルが担えたら――と願っています。

『ぼくらの発達障害者支援法』を、ブログで加筆し続けていくようなイメージをもっています。

 私は、現行の発達障害者支援法は、発達障害者の支援の「スタートラインに立つための法」だととらえています。ゴールははるか先で、おぼろげにしか見えていません。
「ザル法」と揶揄されることもありますが、「ザル」にだってすくえるものがあるじゃないですか。国会(国民の代表)が全会一致で、「発達障害者の支援の必要性を認めた法律」は、そんなにバカにしたものではないと私は思っています。

 とはいっても、これから2年間の間も、論点(1)と(2)について、私たちが真剣に考え見守り、わが子や自分自身にとって害とならないように、おかしい動きには勇気を持って「No」と声をあげていかなければならないと考えています。

「芽の出ない間は、地中に深く根をはる時期」――今は、「支援の木」が生い茂る前の「支援の根ッコワーク」をはりめぐらせていく時期だととらえています。

 なんとかして、絶望せず、少しでも「マシ」な暮らしができるように、一緒にやっていけないか――と、そんな願いを持っています。

 aquaさんからのコメントをいただき、日頃の思いを書かせていただきました。法律の評価は違っていても「現状をなんとかしたい」という思いは共通していると信じています。