スランプでした
■スランプでした
スランプでした。まだ抜けきっていないかも。
理由はいくつかあって、地道に少しずつ取り組んでいくしかないと思っています。
奇妙な感覚ですが、ブログはずっと更新を続けていたような感じがあります。
つまり、自分の頭の中で、ブログ記事を構想して書いて校正して構成して「はい。エントリ」ポンッ! というところまでシミュレーションして、済ませているふうなんです。だから、けっこうたくさんの記事を書いてきた充実感は残っています。不思議でしょ?
理由としては、通勤時間が長くなったことが大きいです。往復3時間。その間ずっと考える時間があって、自己完結してしまう。実際にブログ記事をもう一度キーボードで打つことは、「一回書き終わった記事をもう一回打ち直す」みたいな感覚があって、あえてやらなくなってしまうんですね。たとえば、長文を打っていたらパソコンがフリーズしてデータが消えてしまった。もう一度イチから書き直す気にはなれないような、そんな感じです。
ブログは、自分の中の「思考」を見えるようにまとめるための道具(=プロセッサー)なんですね。一般的に言っても、「文章を書く」ことは、思考を自分に見えるようにすることを目的とした「手段・プロセス」なんでしょう。
それで出来た「文章」を使って、誰かに行動をしてもらうとか、誰かに報告するだとかいうのは、また別の目的(その2)なわけで、目的(その2)が存在しない場合は、一回思考を見えるようにできたら、それで目的完了です。
今、こうやって久々に記事を書いているんですが、これは「書きながら考えて」いる状態です。
最初に「スランプでした」と打ち込んだときには、それだけ報告して終わろうと思っていたのですが、途中から、最近の「脳内カイパパ通信blog」の更新状況の報告をしたくなって、さらに「ブログ論」めいたものに踏み込もうとしています。面白いから続けます。
ブログをやる意味は、というか、私が考える、ブログ「で」やる意味は、
(1)自分の思考を見える形にするための道具・きっかけを提供してくれる
(2)自分のブログ上で、反応がついて、他人の言葉を聴くことができる
(+アクセス数という形で、読まれていることを実感できる)
(3)他の人のブログを読んで、反応(Trackback)をして、協働して議論を深めることができる
(4)続けていくうちに、「仲間」ができていく。
こういうことなのかなと思います。
「昔は面白かったな」と年寄りめいたことを思ったりするのは、まだ、ブログが本当に少なかった頃(といっても、6千〜1万ぐらいは既にあった時期から自分は始めたんだけど)は、他の人のブログをよく見に行って、「自分のブログも見て欲しい」という単純な動機で、テーマが共通するわけでもないブログに、コメントをつけたりして、またそこのブログ主も(当時は)ほぼ確実にコメントをつけた人のブログを見に行って、お返しコメントをしたりして仲良くなったりしていた。
アクセスアップのためには、他人のブログを積極的に訪問し、コメントをつける――という戦略が自然に機能していた時代があって、人気のあるブログのLinkListに加えてもらえると、アクセス数の増加につながって誇らしかったりしていたっけ。
時代は変わって、数百万とかブログがある今は、昔のブロガー同士の「親密さ」めいたものは、感じにくくなってしまった。そういう濃い目のコミュニケーションは、mixiに行ってしまった。mixiをちらちらみていると、みんな本当に律儀にコメントにコメントを返して、元記事が5行ぐらいなのに、コメントチェーンが50個ぐらい(それも3人くらいの参加者で)続いていたりするのを見かける。「内輪受けウェルカム」の気安さがよいんだろうね。
しかも、「あしあと」(自分のmixiを、「だれが」見に来たか痕跡が残る)機能があるから、コメントをしていない人でも、「あしあと」を頼りに、自分のmixiの訪問者のmixiを見に行く、そこで交流が始まったりするみたいなことが普通に起こっている。
mixiと比較すると、ブログでコメントをつけることは、すごく勇気がいること=ハードルが高いんだということがよくわかる。上で書いた「ブログでやる意味」のうち(2)から(4)については、mixiのほうが優れているんじゃないかと思う。
だけれども、「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル@mixi版」を始めます!――なんて気にまったくならない自分の心情が興味深い。
気にしているのは、mixiへ移るときには、けっきょく「セレクション(選別)」をやることになることかな。ブログは、「あけっぱなしの縁側」なので、誰でも入ってこれる。時には怖い人も、歓迎されざる客も来るかもしれない。mixiは、「監視カメラつきエントランス」みたいな安心感があって、それはそれで別の良さがあるんだけど。
私のブログを、いったいどんな人が見ているのか(コメントなどがないかぎり)、ほとんど分からないのだけれど、毎日400〜500人の方が、更新があってもなくても訪問してくれている。この、愛読者さま(リピーター)との信頼関係が愛おしい、という気持ちがあること――
とか言いながら、「脳内ブログ」を更新して、みんなとシェアをせず自己完結している私は、ブログを使ったコミュニケーションという部分では「スレチガイ」を起こしてしまっているみたいだ。こんな状態で、より濃密なコミュニケーションを求めてmixiを始めるという選択肢はナイのか――なるほど。
やっぱりスランプですねぇ。
でもこの記事は書いていてたのしかった。だからシェアします。
Posted by kaipapa2shin at 13:05
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つれづれ・雑感
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最近、小林よしのりさんの近刊を読んだんですが、その中で小林よしのりさんは、インターネットはとにかく「毒」だ、と。
でもそのとき私は、「いやいや、でもよしりん。私たちのような弱者、とくに地域内ですらつながりが持てない弱者にとっては、インターネットというのは大きな武器になるんだよ」と思いました。
シェア、なんですよね・・・。
情報だけじゃなく、勇気を与えたり与えられたりしている・・・。
思えば、私がなぜ、単なる日記ではなく発達障害のブログにしようかと思ったのは、カイパパさんのブログを読んだからなんですよね。
「うっかり死んだりしない」と、ゆびきりゲンマン♪
この文集を読んで、ああ、子どもの成長記録サイトじゃなくて、こういうサイトもあるんだ、と。
(正直前者は成人した私にとってはあまり意味のないものなので)
変わるかもしれない。
自分の手で変えることができるかもしれない、と思いました。
そういう意味では(変えてゆく、知恵と勇気を分け合うという意味では)、インターネット、特にブログというものは大きな武器になるのでしょうね。
う〜ん、なんだか変なコメントですみません(汗)
mixiは、確かに交流をうみます。知らない人との繋がりを感じる事も多いのかも・・・
ただ、足跡などで負担に感じる部分もあるのかな〜〜と。。。
ブログ・mixi きっと、それぞれによさがあるんでしょうね。
ただ、どちらも疲れない程度に、負担にならないのが一番ですね。
プログは、一人一人の個性が出やすいのだと思います。カイパパのブログから、私は力をいつももらっています。
ありがとう!!
>Qwertyさん
「
思えば、私がなぜ、単なる日記ではなく発達障害のブログにしようかと思ったのは、カイパパさんのブログを読んだからなんですよね。
」
なんだか、ものすごいうれしいコメントです。
胸に染み入りました。
ありがとう。
こんにちは,お久しぶりです。
>「昔は面白かったな」と年寄りめいたことを思ったりする
なんとなく,「あー,なんかわかるなぁ」と感じました(^^;)
毎日続けてた頃は感じなかったけど,
ふと振り返ると,ブログもずいぶん広まって,
あっという間に,「創成期・黎明期」みたいな雰囲気は,
失われてしまいましたね。
ぼくはよく知らないですが,パソコン通信とかも,
似た過程があったりしたんでしょうか。
最後の
>でもこの記事は書いていてたのしかった。だからシェアします。
という言葉が,なんだか印象的です。→
→(つづき)
きっともう一度,「カイパパさん自身の〈たのしみ〉のために」
という〈原点〉にたちかえれると,いいんじゃないかなぁ,
と思いました。
それには,どういう形(ハード,ソフト)がいいんでしょうね。
なんだかこの記事は,
久し振りに(?)カイパパさんの「素」がすごく出ている気がして,
なんとなくうれしく,
思わずつられて,コメントを寄せてしまいました(^^ゞ
カイパパさんのブログとの出会いは4ヶ月前。「父親の活動」で検索していた時に、偶然たどり着いたんです。それ以来、すっかりはまりました。もちろん、カイパパさんから始まってカイパパさんで終わらず、つぼみパパさんたちの中まで勝手気ままに入り込んでしまいましたが・・・。
ブログ論はよくわかりません。が、自分にとっての世界が広がりました。人と人のつながりが見えてきました。様々な人の考え方・感じ方に共感したり疑問に思ってみたりすることで、みんな違うことに価値観を見出せました。
わが子は自閉症でも発達障害でもありません。音声機能障害と知的障害を持つ障害児ですが、「医療的ケア」が必要なので、関心の方向はちょっと違う。それでも、カイパパさんのブログにたどりつけたことは、とてもラッキーだったと思っています。
(つづく)
実を言うと、自分もスランプ気味。某団体の長として、発信している文章が会員にどう受け止められているのかわからなくなってました。でも、「行動せずに後悔する」より「思い切って表現して、悩む」方を選択してみたら、少しは先が見えてきました。
カイパパさんのブログですから、カイパパさんらしく、カイパパさんの感じるままに表現されていったらいいと思います。(^_^)
「シェア」に反応して、コメントお邪魔します。
仕事先で、アメリカで自閉症のお子さんを育てているご家族と食事をする機会がありましたが、会話で何度も「share」「self」が出ました。地元のモールで働き始めた息子さんにいちばん必要な事だから、常に意識してほしい、ご両親の願いです。
selfで考える。気持ちをshareする。selfで行動する。行動をshareする。人が支え合うってこういうシンプルなことなのかなぁと思いました。
ブログもまた然り…でしょうか。
こんにちは☆初めてコメント致します。パソコンなく…携帯からですÅ母子連動の…アスペです。私はいつも、ひたすら…自分の内側にメッセージを送り続けてきました…公の場で自分発信を数回…過去、行ったけことはあっても…まだまだ…本当の自分は語れていない…沢山の人たちの心の家を遠くから眺めては、いつも通り過ぎて来た…なかなか…ドアーをノック出来ずにきてしまいました。だから…今回、初めてコメントをしてみました。
何事も、自分で、決めて(誰にも相談しないのではなく)、自分で、変えてたり、やめたり、少し新しいこと、こっそり始めたり(そしてこっそりやめたり)でいいのかもよ^^
まあ、大変なのはこれからだから(思春期とか)、今はぼちぼちとあまり負担にならない程度におさえて、疲れず長く続けて行くのが大事かと。
先月に全国大会で岐阜に行ったおり知り合った、愛知県から来ていた保育士の女性が、カイママ(?)のお話を聞きに行ってとても良かったと言ってました。ご夫婦で活動していらしゃるんですね。
息切れしないように、活動自体を楽しんで下さい。
カイパパさんの「スランプでした」何度も読み返えしてみました。私はひたすらノートですが…時を忘れ明け方まで書いていたりも…書いて書いて何かを掴みたいのかもしれない…自分と語り明かして…本当の分の答えを探し出そうとしているのかもしれない…様々な自分が内在している…けれど…いつまで経っても確実な自分は見つけられず、心が空回りしてしまう…カイパパさんの心のままに…想いのままに〜が、きっと一番と信じます。