■Yes

今度の日曜日に、学齢期前の、まだ我が子の障害がわかって間もないお父さんたちを相手にお話をします。
スライドも準備して話す内容も考えてあるのだけど、何か違うような気がして、考え続けています。

4年前の自分だったら、どんな思いで会場に来て、どんな気持ちで話を聞くだろう?
「その時の自分」に立ち戻って、情景を想像してみると、きっと何が話されたか、その内容より、誰が話したかの方がずっと重い気がする。
「がんばってる/がんばってきた父親の典型」みたいにエラソーに話す「ナニパパだかなんだか」の言葉は、あの頃の自分に響くだろうか?

3年前のカイパパが話したらよかったかも。
まだ先の見えないアガキとしての、チャレンジ、がんばっていた頃の話なら、我が身に即してイメージができるし、リアリティを伴って受け入れられただろう。

これまで必死でがんばってきたことは私の誇り。あれだけやってこんなもんか、とも思うけれど、達成できたと思うことは少しはある。

でも、そんな苦労話がお父さんたちの聞きたいことだろうか?
当時こんがらがっていた自分は、何を知りたかったかな? 

思い起こしてみる。

自分は「明るい未来」の話が知りたかったな。
具体的に我が子がどう成長していくのか知りたかった。
周囲が、社会がどう受け入れてくれるのか、この子に居場所があるんだろうか? それが知りたかった。
希望という「ウソ」の絵空事じゃなく、専門家のする他人事の話じゃなく。

私は、明石洋子さんのお話を聞いたときが、一番衝撃的にうれしかった。

カイパパには明石さんのような「実現した将来」の体験を話すことはできない。子どもの年齢は、お話する方たちと3歳と違わない。

ジョン・レノンが、ヨーコと出会ったのは、ヨーコの展覧会を見に行ったときだ。会場にハシゴがあって、のぼれるようになっている。ジョンがのぼって、天井を見ると、そこには、

Yes

とだけ書いてあった。

その頃のジョンは、精神的に危機的状況にあってボロボロだった。「そこに書いてあったのが、Yesで良かった。Noだったら、自分はダメになっていた」とジョンは言っている。

自分の子に障害があるとわかることは、強烈な「×=否定」をくらったような気持ちだ。
何をしてても心が落ち着かず、希望はどこにもない気がしていた。

あの頃自分が渇望していたのは、Yesという肯定だった。

そうだった。

伝えるべきことが見えてきた気がする。