2007年03月11日

共感と混乱と〜宇治学習塾事件判決に思う

■共感と混乱と〜宇治学習塾事件判決に思う

ゆうすけのパパさんとすぎかばさんのコメントに触発されて、前回の記事「宇治学習塾女児殺害事件」についての自分の思いをつづってみます。

宇治の事件判決の報道は、父親部の先輩(私のメンター)H.Suzukiさんの車で移動中に聞きました。NHKのラジオからは、「懲役18年の判決が出た。争点であった責任能力の有無については、責任能力があるとの判断だった」と流れました。そのラジオでは、「アスペルガー症候群」「発達障害」という語は一言もありませんでした。
被害者のご遺族が「判決には納得できない。自分たちが言うことではないかもしれないが、検察には控訴していただきたい」とコメントしているのも聞きました。

私は、H.Suzukiさんに、「この事件は、たぶん発達障害が関係していますね。裁判所が、発達障害があっても責任能力を認める流れは確定してきましたね」と話しました。二人で、何でこんな事件が起きてしまうんだろう?とぽつぽつ話しながら、私は「こんな不条理な形でわが子を傷つけられたとしたら、自分も、許せないという思いになると思う」と話しました。

家に帰ってから見た、報道ステーションでは、「アスペルガー症候群」を前面に打ち出して、報道をしていました。被告が塾で子どもと一緒に映っているビデオ映像も流していました。その姿は、とても若く、笑顔で、楽しそうに映っていました。犯罪を犯しそうな人間には見えませんでした。

テレビでの報道の仕方を見て、「これは影響が大きい」「障害名が一人歩きする」という危機感を覚えました。

私が一番恐れたのは、診断名が告知されている本人への影響です。文字や言葉の影響を強く、ストレートに受け止めてしまう傾向がある彼らが、「自分のこと」を犯罪者だと言われているように受け止めないか? 「いつか自分もああいうことになってしまうのではないか」という思いにとらわれて、不安定になることを心配しました。

「あなたのことが、非難されたり、責められたりしているのではないんですよ」

というメッセージを伝えることが一番必要だと思いました。

どう伝えるか色々と考えて、書いてみたけれど、結局記事にしたのはこの2行でした。
被告人は、個人の名において、罪を犯し裁かれました。
アスペルガー症候群という障害を代表して裁かれたのではないということです。

カイパパ通信の普段のスタンスからは、ずいぶんと冷たく、被告のことを切って捨てたような表現だったかもしれません。





私は思うのです。


自分も含めて、自閉症や発達障害をもつ人の犯罪が起きると、まるで「わが子や自分たちが犯した罪」であるかのように、胸を痛め、被害者に対して申し訳なく、自責の念にとらわれ、落ち込んだ気持ちになる当事者が本当に多いと。

共感する力が強く、感受性の強い方ほど、そうだと思います。

でも、この思いに囚われると、活力がなくなって、ぐったりとしてしまう。共感する力は大切だけれど、下手をすると、心のバランスを損なうようなこともあるかもしれません。「共感の罠」のようなものがあると思うようになりました。

「苦痛は、3分の1でいい」の記事で書いたこととも通じるのですが、

「もしかしたらわが子が加害者だったかもしれない」という同一視してしまう思いや、
「いつかわが子が加害者になるかもしれない」という将来の不安まで、
 同時に区別せずごちゃごちゃにして考えてしまうと、

「遺族が、自分たちを恨んでいる」
「自分たちは世間から差別されている」
「適切に支援してくれない社会は冷たい」
「将来のわが子の行く末は、暗いに決まっている」
 と、ネガティブな感情の渦に翻弄されてしまいかねません。
(私自身、これまでも何度も体験してきたことです…)

だからいったんは、「わが子が犯罪を犯したのではない」と区別をしましょう。

「障害→犯罪の因果関係は不可避のものではない(裁判所だってそんなことは言っていません)。社会の中で、生きていくことはできる」という確認をしましょう。

その上で、「自分たちには、未来がある。今、未来の準備をすることができる!」と気持ちを立て直しましょう。

現実に起きてしまった事件の「なぜ」を問い直し、どうすれば避けられたのか対策を考えるのは、心のバランスを取り戻したその後でいい、と思うのです。

私たちの心を守るために。


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この記事へのコメント
お久しぶりです。
私も事件が起きるたびに非常に不安にさいなまれるのです。
実は寝屋川事件の犯人は事件前に診断がでてたという話を耳にしました。
耳にした話が確実ならば、診断されたにもかかわらず事件発生するなんて悲しいです。
「早期診断・対応」されたかといってもうまく対応しなければ何も意味ないです。
国が本格的に支援に積極的にならないと今後も問題は終わらないのです。
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Posted by みっちゃん at 2007年03月11日 23:31
こんにちは。このような事件を読み聞きする度に現在高校1年ASの息子を持つ親として不安になります。「みっちゃん」さんのコメントと同じようですが「早期診断・対応」して来たつもりでも子の心の闇までは解かりません。段々と親に見えない部分が多くなることは確かです。無理やり聞く事も出来ませんし話しませんね。カイパパさんが書かれたとおり心のバランスを取り戻すよう努めます。冷静になってから私もブログに少し触れたいと思っております。私の過去記事にも事件そのものには触れませんが、書く事があります。人によっては誤解されてることがありますので。
Posted by ゆん at 2007年03月12日 08:26
ちょうど友人に薦められて、佐々木正美先生の『続・子どもへのまなざし』をよみはじめたところです。まだ、わずかしか読んでいませんが、後悔ばかりです。しかし、「過去を振り返るのではなく、今からを考える」ということが繰り返しかかれていました。過去のことを悔やんだり、将来を悲観したり不安になったり。こういう気持ちは現在がうまくいっていないからわいてくるもので、今がうまくいけば忘れてしまうはず。今、これから最も重要なことはなにか、何をするのが一番いいのか、今日よりも明日、ちょっとでも努力して、好転させやろう、という気持ちがあれば、希望になってしっかり生きていける。
不安になってばかりの私も心に刻み、しっかり育てていきます。
Posted by しゅしゅ at 2007年03月12日 11:34
確かにカイパパさんのおっしゃる通りだと思います。周囲からお叱りを受ける事やトラブルが多いとつい将来のことまで不安になってしまいますが、まさに「先読みする脳」ですね。息子が傷を負わせてしまったお子さんには今でも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも障害があるなしに関係なく誰にでも加害者・被害者になる可能性はあると思います。将来を悲観するよりも子供の可能性を信じていきたいと思っています。特に親の不安を敏感に感じる子供達なので・・・
しゅしゅさんもコメントされているように、不安に思う時間を「好転させてやろう」の努力の時間にしていきたいです。
Posted by すぎかば at 2007年03月14日 00:52
いつもながら、適切な指摘に感心しています。
この件に関して、コメントできる心境ではないのですが(カイパパさんにはお分かりと思いますが)、「障害→犯罪の因果関係は不可避のものではない」ということは、何度も確認していかなければなりません。ある種の特性がトラブルに巻き込まれやすいということはあるとしても、犯罪にはさまざまな要因が複合的に絡み合っています。この件に限ったことではありませんが、「こういう特性(障害)を持っていたら」「こういう生育暦を持っていたら」「こういう趣味を持っていたら」「必ず犯罪を起こす」という図式は成り立ちません。この種の報道をする場合、いたずらに不安をあおり、あるいは、誤解を招くような表現がないか、慎重であるべきであろうと思います(が、実際には、何も考えていないかのような取り上げ方が目立ち、嘆かわしいかぎりです)。
Posted by MOMO at 2007年03月14日 14:07
今回の報道ステーションの報道は,かつてのニュースステーションによる所沢産野菜のダイオキシン報道を彷彿させるものがあり,テレビ朝日の独善的で無責任な報道姿勢を再び目の当たりにした感があります。
自己肯定感に乏しいという障害特性ですから,診断名の告知を受けていれば,故なき自責の念に苛まれることもあるでしょうし,周囲にカミングアウトしていれば,いわれなき誹謗中傷やイジメを受けて人格がズタズタにされるような事態までも想像されてしまう...カイパパさんの心配もこうしたものではないでしょうか。
所沢の生産者たちは裁判に訴えましたが,そうでもしなければ彼らには分からないのでしょうか...何も行動しなくていいのだろうか...
Posted by lennon at 2007年03月15日 02:18
予測できない未来や正体のはっきりしない「心の闇」を考える前に、親は現在の子供の生活のあり方を基準に考えるのが現実に即していると思います。乱暴や問題行動は障害特性ではありません。我慢を重ねていたから、とか辛い状況で苦労してたから、など必ず何か理由があるから問題が起きるのです。子供と一緒に丁寧に生活する。そうして確実に不利な状況に置かれている子供を見逃さない社会をつくっていきましょう。子供の中に親さえわからない心の闇があって子供の心をどうやって掴んだらいいのか、などと恐れたり振り回されることはないのです。悲しい事件が起きたとき私達がやる事は、自分達の社会や生活のあり方を見直すきっかけにする、先ずはそこでとどめるべきです。失礼しました。

Posted by ほし at 2007年03月15日 07:26