2007年04月08日

続「チャレンジド再考」

■続「チャレンジド再考」

 前回の記事「チャレンジド再考」に関連して、たくさんのコメントとTrackbackをいただきました。ありがとうございます。これをきっかけに、私が感じたことをシェアします。

 まず、天竺堂さんからのコメントへの反応です。天竺堂さんからは、「前向きな規制」という考え方を教えていただきました。
ですから、障害者に意味を限定した呼称である「チャレンジド」を積極的に使うことは、やはり障害者に新たな定義を押し付け、生き方に“前向きな規制”を与えてしまうことにつながりはしないか…と私は危惧します。呼称を使う側に特殊化の意図が無かろうと、それが障害者を指す以上、結果的に特殊化は避けられないのです。
 天竺堂さんからコメントをいただいて、うーむ、と考え込んでしまいました。どこかに、すれ違いがあるような…、私が言いたかったことと受け止められ方にギャップがあるような違和感がありました。
 それで考えてみました。
カイパパさんは「勇敢」や「成長」などの言葉を使っておられますが、ほめればほめるほど“前向きな規制”は強まります。そのジレンマから逃れることは難しいでしょう。
カイパパさんご自身も、実は無自覚に言外で「がんばれ」とおっしゃっておられるのです(激励が悪い訳ではありません、決して)。
 この部分を、繰り返し読んでみて、「ああそうか」と気がつきました。

 私が、「勇敢」「成長」に驚き、感動している相手は、私の息子「カイ」その人なんです。
 論じている対象が、私の場合、「障害者一般」のカテゴリーを指しているのではなく、カイのことを具体的にイメージしてお話をしています。

 父親として、カイの成長に驚きながら、「チャレンジに満ちた新しい世界」を一緒に生き抜いていこうという決意──これは、私自身に対する「前向きな規制」なんでしょう。(自分で決めたことだから、余計につらいともいえます)

 私の願いは、カイを認めて、取り巻く環境を暮らしやすいものに変えていきたいということ。
 世間一般に対して「チャレンジド」という言葉を強制して、「みんな、前向きに生きろよ!」と主張しているつもりはないんです。

 次に、かへる日記さんが書いてくださったこの記事から。

・かへる日記 (FRGFRG304):「チャレンジド」であるが故にある「がんばらない」という選択肢も
http://d.hatena.ne.jp/ngmkz/20070401/1175422875
「チャレンジド」と「がんばらない」というものは、衝突するとは思っていないんです。

「チャレンジド」というのは、「(もう既に)挑戦している」という意味だろうから、それに対して「がんばらない」というのは自己選択としての考え方になるんだと思うんです。

社会的の構造や環境によって「チャレンジド」な状態にある方々をそう呼ぶこと自体は、とくに違和感ないっていうのがぼくの感想です。
 「チャレンジドな状態にある」という言い方は、「不利な条件で、社会参加を強いられている」ということの客観的な表現として、わかりやすいと思いました。

 かへるさんの勤務する風の工房では、「有給休暇カード」を本人にお渡ししていて、休みたい日もしくは前日にそのカードを出してもらう仕組みを導入されているそうです。

 自閉症の人は、「休む」ということができにくい、決められたルーティンを「何としてもやり遂げなければならない束縛・こだわり」に転化しまうことが多い特性を考えたとき、「がんばることをやめられない」素直さ、「おりることが、できにくい」危うさに注意を払っていかなければならないんだなと思いました。

 もうひとつ、五つの霞さんが、私の「「がんばれ」って言わないで 「がんばらないで」と言わないで」に対して反応してくださった記事。

・特別支援学校って…へぇ、そうなんだ: いつまでがんばる?どこまでがんばらせる?
http://d.hatena.ne.jp/fivefogs/20070402/p2
教員は生徒たちにどこまで頑張らせればよいのでしょうか? 生徒たちは何歳になるまで頑張ればよいのでしょうか?
ペースが分からない、ゴールが見えない、そんな世の中で「Challenged」と言われても、どうしたものやら右往左往してしまいます。
 霞さんは、障害児教育20年のキャリアを持つ先生です。学校の先生も悩んでいる。何を? どこまで? いつまで? がんばらなくちゃならないんだろう? うーん…。と切なくなってしまいます。

 この霞先生の記事に、S嬢さんがTrackbackをされていて、これが、素晴らしい内容です。もうタイトルだけで、私が言いたかったことを端的に伝えられています。全文をぜひ味わって読んでいただきたいのですが、全部ゴチックで引用したいくらい響いた箇所を引用します。

・S嬢 はてな:がんばること自体は悪くないよ、悪いのはがんばらせられることだと思う
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20070402/p4
 「ありのまま」という言葉だけで成長の可能性を投げてしまうのは支援の怠惰だし、本人置き去りの課題の提示と強制は本人自身を育てない。何かができるようになることが大事なんじゃない、自分という存在を大事にできるかということが大事なんだと思う。何かに向かい合っていこうとすることは、自分自身を大事にするために進む道だと思う。

 知的障害児に向かい合うときに、問われているのはこちらの知的能力。タイミングの研究、モチベーションの芽の養成や把握、達成感を獲得するためにやるひとつひとつのステップの細かい分解。本人のリアクションに対する細かい分析と対処。

 がんばることもがんばらないことも選択は自分。がんばらせられることは心を死なせる。そういうことが大事なんだと思う。



 それと。障害を克服するためにがんばるんじゃない。生きることを楽しむためにがんばるんだと思うし、そういう支援ってヤツをわたしは選びたいと思う。
 S嬢さんがここで語られているメッセージは、親として、一番近くにいるサポーターとして忘れてはならない心構え・スタンスです。親だからこそ、冷静になれなくて、なかなかできにくいことなのだけれど(特に、「強制」と「自発」の間の揺れ惑い)。

「生きることを楽しむ」というスタンス、果たして親自身が、そのように生きているだろうか? それって、すごく大切なことだよね。でも、自信を持って、「はい」とは言えない。なぜ?……

 今回の「チャレンジド」を巡るやりとりのおかげで、自分が書いた過去記事を読み返す機会になりました。原点を再確認する意味で、次回の記事で、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルのコンセプトについて書きたいと思います。


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 霞先生とカイパパが、同じ文章に反応してトラックバック送信。 続「チャレンジド再考」 /カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル ほとんどの教員は悩んでません/特別支援学校って…へぇ、そうなんだ  がんばることもがんばらないことも選択は自分。がんばらせられることは
[雑記]結論の無い話【S嬢 はてな】at 2007年04月09日 15:48
批判的な対応、つまり声かけや対応はもちろん態度として現れる支援者の「意思決定」の基準が「批判」的である場合、それは支援にとって絶対的に有効ではない。 むしろ肯定的な対応がどれぐらいできるのか、というそれが最重要だよね。 この毎日新聞の記事を読んで改めて実感
[context][アスペルガー][関係][仕事]やっぱり自分のことは自分で決めるべきだし、だから、ぼくらはその人のことを肯定することしかできない。いや、肯定することができるんだ。【かへる日記 (FRGFRG304)】at 2007年04月11日 08:19
この記事へのコメント
カイパパさん
はじめまして。実は以前からこのblog読んでます。私の息子はADHDと診断され、あれこれ医療や福祉、教育行政に振り回されました。今回の記事を見ても、色々な立場の方がいて、色々な視点が存在するので、障害に対する考えや取り組みについて、目的や意識を共有する困難さを感じています。
 さて、私の最近の悩みは、発達障害というまだ概念すら定まらならない主題について、発展的な議論が許されない風潮にあるところです。どちらかというと、有力な親の会などの意見が主流になり、それに反するような意見は議論の対象にもならずに潰されています。
Posted by Kei at 2007年04月09日 18:22
続き:
 例えば、食生活やしつけ、教育などは子どもの行動に大きく影響を与えるのは事実ですが、そういうことを言うと「ADHDは先天的な障害で、それは関係ない」とされてそれで終わりです。しかし、先天的な障害とは証明されていませんし、もしそれが事実だとしても、食やしつけ、教育の影響を受けた子どもがADHDと誤診されているのはなぜ?という疑問も残ります。
 要するに、変な「タブー」がない発展的な議論ができないものかと考えるのですが、発達障害者支援法成立に寄与されたカイパパさんとしてはいかがなものでしょうか?
 参考までに、私を目覚ませてくれたブログを紹介しておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/folder/507159.html
Posted by Kei at 2007年04月09日 18:23
親は身近な支援者とかサポーター?それ以前に、親であることが大切だと思いました。親がごくごく当たり前の親でいられる環境が大切なのでは?そのための活動だと思います。

さまざまな療育後に、二次、三次障害を持ったお子さんとご両親をサポートしてくれる場所はそう多くないように思います。子供の達成感を見極めるように過ごす家庭は楽しいかな?障害がある子の親が精神を病んでいるケースも更年期障害に苦しむケースも多いですよね?さて、なぜでしょう。

ブログではコミュニケーションはできるのに、身近な関係者がなすあまり良くないと思われる指導などについて、明らかに子供の様子が良い状態ではないのにも関わらず、言ってもわかってもらえないと思ったので。などと伝えられなかったりするのはなぜしょうか。それと、指導する側が本来コミュニケーションを密に取らねばならないのは、身近なお母さんたちではないですか。


Posted by みか at 2007年04月09日 23:59
このS嬢さんの「ありのまま」という言葉だけで・・の文章は、ものすごいですね。
ここまでのものを私は知りません。
元記事チェックに行ってきます。
いつも、質の高い情報をありがとうございます。
Posted by こうまま@病み上がり at 2007年04月13日 12:24