■痛みの記憶〜語ること

「わが姉」と慕う、こうままさんは、以前、
「カイパパはよくやるよー。私は、絶対ムリ。講演で自分の一番つらかった頃の体験を話すなんて。絶対泣いてしまうから」
と語っていました。

その気持ちは、とってもよくわかります。

こうままさんは、「傷は治ったように見えても、痛みの記憶は今もここにある」と書いていました。(過去記事を検索してみた↓)

【過去記事】
・苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
こうままさんが、ある時、「傷は治っても、〈痛みの記憶〉は残っている」とお話されていて、ああそのとおりだなと思いました。
私が講演をしていた時、いつも感じていたのは、「せっかく固まったかさぶたを、思い出すことで、かき壊しているような気持ちがする」ことでした。
そこに「傷はない」のだけれど、「痛みの記憶」が残っている。

今は、元気に笑っていても、
一皮めくれば、苦しみや痛みはまだそこにある。

話すことは、「あの頃」のことを、追体験することですからね。
「伝えよう」と努力すればするほど、痛みがよみがえってくるものです。

講演中は(泣かずに)大丈夫でも、終わって少ししてから、ひどい落ち込みに襲われることが多かったな。私は。


でも、おそろしいことに、、、
こんな貴い体験も、数をこなしていくと「慣れて」しまうのだ。
講演で感情がコントロールできるようになった(=プロっぽくなった)ことを自覚したとき、

私は、
「もうこの話をするのはやめよう」と決めたんです。


だって、



社会的な意義があることは、よーくわかるのだけど、
私の体験、私の記憶は、ワタシだけの大切なもので。
「再生産」して、出荷し続けられるものではないから。

そう思ったんですよね…。



こうままさんが、今、これまで封印されてきたご自身のつらかった時のことを、語り始めようとしています。

すごいな。
みんなにも、わかるかな?
これは、捨て身の貢献なんです。

血を流してみせたからこそ、伝わる何かがあることは確か。


でも、どうか、
ご無事で、
ダメージは最小限で、帰ってきてね。

貴重な機会に臨席された方々は、どうか耳をすませて、心で聴いてくださいね。