2007年10月01日

純粋なペアレンツ・トーク

■純粋なペアレンツ・トーク

こうままさんが、無事岐阜での講演を完遂されたとのこと。
(主催者やましんさんの感想記事はこちら

・こうくんを守れ!!!: ペアレンツトーク
http://koumama.seesaa.net/article/57920100.html

お疲れ様でした〜!!

この記事で、「そうそう」と思ったことがありました。
「今日の講演は純粋に「親」としてのお話」
とこうままが書いていて、一方で、
スケジュールや自立課題やサポブなどの研修は喜んでお受けしますので、NPO法人ゆうにご依頼下さいませ。
この違い/区別。

前回のカイパパの記事を読んで、読者の中には、
「こうままさんは、これまでもた〜くさん講演や発表をされているじゃないの? なぜ、今回だけ特別なの?」
と思われた方がいらしたんじゃないかな。

その疑問はもっともだと私も思います。
自閉症の支援の輪を広げることを、自らのミッションと決めた親御さんたちは、「親」であることにプラスして、「支援者であること」の衣を身にまといはじめます。
(「衣」じゃなくて、「鎧(ヨロイ)」と言ったほうがイメージが合うかも)


たとえば、私が、初めて人前でお話をしたときの構成は、
「私の個人的な体験」
+「自閉症へのサポートのコツ」
という二部構成でした。

この時の意図は、

まず自分の体験をお話しなければ、
聞いてくださる方が、本当の意味で共感することができないだろう、
この講演の目的は、「支援の輪を広げること」「支援者になっていただくこと」だけれども、
そのためには、自分の痛みをお話しすることが不可欠だ、

そう思ったんですね。



この「親の体験」を語ることを、
「ペアレンツ・トーク」と言うんだと知ったのは、
2003年夏のTEACCHトレーニングセミナー愛知でのことでした。

トレーニングセミナーでは、自閉症の方(協力者)への実際の支援を行うことで、研修生のスキルアップを図ります。
そのためには、自閉症の方ご本人と保護者の協力がないとできません。

そのトレーニングセミナーの最初で、親御さんにお子さんとご家庭のことを語っていただく。
それを聴いた研修生は、親の気持ちを理解することができ、
協力者を、単なる「客体」としてではなく、
愛し愛されて育ってきた存在として尊重し、支援のトレーニングにのぞむことができる──TEACCHの基本原則「親は共同治療者である」が、端的にあらわれたプログラムだと思います。

──ちなみに、『ぼくらの発達障害者支援法』にも、
「2章 耳をすませば…」というパートがあって、
それは発達障害者支援法の成立を願って寄せられた親の生の声がつづられていて、
これが、この本の中での「ペアレンツ・トーク」になっています──



でね、

こうままは、NPOも立ち上げられているし、サポートのための勉強会もこれまで多数開催されてきた。
でも、「ペアレンツ・トーク」は、あえてやってこなかった、というのが、前回の記事で私に言ったことばの意味なんですよね。
スケジュールや自立課題やサポブなどの研修は喜んでお受けしますので、NPO法人ゆうにご依頼下さいませ。
こう語る、こうままは、「支援者」としての講演者としてなら、ウェルカムだと言っている。

そうだね。



「個人的な体験」を語ることが、特別なんだよね。

たとえば、TEACCHトレーニングセミナーのように、
これから、実際に、わが子を託して、本人の大きな負担の上で、
支援者のスキルアップを図るというような場合や、

実際に、教室で日々教えている先生方に対してや、

専門家として、本人たちに接する立場の人たち、あるいはその卵たちに対して、

「今から、あなたたちが接しようとしているひとが、
 わたし(親)にとって、どんなに大切で、尊い存在であるかを
 わかってくださいね」

「こわれやすい、宝物をあなたの手に託すのです」

と、

そういう意味合いで、やむにやまれず、伝えようとしているもの、
それが、ペアレンツ・トークなんじゃないかと。

「支援者」としてのこうままと、
「親」としてのこうままは、
語る位置・スタンス、さらけだしている心、感情が、本当に違っているものだということ、

それは、こうままさんだけじゃなくて、
ウォーリーさんや、
たくさん、たくさんいらっしゃる、「親」みんなに共通のことなんだと思った。


それは、
未熟な私が初めての講演のときにやったような、ひとつの講演の中で、
「個人的な体験」+「自閉症へのサポートのコツ」
という二部構成であったとしても、
「個人的な体験」=「ペアレンツ・トーク」のしんどさ、傷つきやすさ、もろさ、
「何のために、あえて語るのか?」=その目的の大切さは、変わらないんだなあ。


「こわれやすい、宝物をあなたの手に託すのです」

という、信じて、託す、捨て身な「願い」──


だから、受け取ってもらえず、拒絶されたとき、
誤解され、わらわれたとき、
何かが、砕け散ったような、衝撃を覚えるんだろうな。


結論。

この特別なメッセージは、あて先も特別な人のためであるべきなんじゃないかな、
と思う。

この子たちを、託す大切なあなたへ

わたしの思いは届いていますか?

この記事へのトラックバックURL

http://app.blog.livedoor.jp/kaipapa2shin/tb.cgi/51310479
この記事へのトラックバック
カイパパさんが私が先日岐阜で行ったペアレンツトークに関する記事を2つ書いて下さっています。 痛みの記憶~語ること 純粋なペアレンツトーク この人は ホントにいつも上手に整理して表現してくれます。 わかりやすく書くってこういうこと、の見本ですね。 やっぱ、 年の...
特別なメッセージ【こうくんを守れ!!!】at 2007年10月01日 23:27
この記事へのコメント
はじめまして。
随分前から読ませてもらっています。
私も、毎日こちらに来ることが日課になっています。
カイパパさんの書きたいときに書きたいことを書いてください。

関東で心理士として自閉症を持つ方の支援にあたっています。

涙があふれてきます。
私は何ができるだろうか。
親御さんたちの大切な思いに、私は応えることができているだろうか、応えようとしているだろうか。
ただ、ただ、涙が出ます。
カイパパさん、ありがとうございます。
未熟な私たちに、これからも色々なこと、おしえてください。
Posted by みなみ at 2007年10月01日 23:26
こんにちわ、ハンサポです。
カイパパさんやこうままさんの想いは、ジンジンと熱くこの胸に浸み入るように伝わってきますよ。
また、みなみさんのように涙してくれる支援者の方の存在は、とても有難く嬉しく思います。
皆んなで一歩ずつ前進させていけたらイイなと思うと同時に、私も保護者としてだけでなく、支援者としてのミッションが益々明確なものになっていきました。ありがとうカイパパさん。
Posted by ハンサポ at 2007年10月02日 06:18
お久しぶりです。

当事者活動をしていますので、ペアレンツ・トークとは違う形での話が多いです。

一番しんどいのは自分自身の生育歴を中心としたお話。特に今でもフラッシュバックの原因にでもなっている就労失敗話や学生時代は思い出すのもイヤだけど、私の二の舞を踏んだり後に続く人たちの為にも、あえて話をします。→この種の話をした後は必ずぶっ倒れてバタンキューです。

当事者兼支援者としての話をするのはウェルカムだけど、ダークな話を求められるのも当事者ならではの話。

当事者も支援者的な面で話をするのはまだ求められていないのかもしれませんね。

P.S.こうままさんに今後『当事者兼支援者』は絶対必要になってくるのか?を話をしたら「必要」と言われました。名刺には新しく『自閉症コンサルタント』を書いているし。



Posted by Rosamonde at 2007年10月03日 12:17
はじめまして、そしてありがとうございます。じっくり読ませていただきました。
Posted by 一本釣り。 at 2007年10月04日 20:19