昨日紹介した記事を読んでから、胸につかえるような思いがあって、うまく表現できるかわかりませんが、書き出してみたいと思います。

私は、2年前まで、人材開発の部署にいました。
新人教育の運営事務局をしていたときの話──
新人研修では、遅刻やら居眠りをする学生気分が抜けない新人が、なかにはいます。
仕方なく、叱ったりします。一瞬で教室の雰囲気は凍ります。叱ったほうも、叱られたほうも後味の悪い思いをします。

後でアンケートに「あんな受講態度をとってしまって、私たちは講師に対して失礼なことをしてしまった」と反省を書くひとがいます。
チェックしてみると、それは叱られたひとではなくて、ちゃんと遅刻もせず真面目に研修を受けていたひとでした。
叱られたひとは平気で、むしろ批判的なコメントを書いていたりする。

なぜこんなにちがうのか。感受性のちがいなんでしょうか?
「いい人」ほどダメージを受けてしまう。

昔、私が講演を始めた頃、「共感してほしい」「親の気持ちをわかってほしい」ということが一番の目標でした。
まだ、自分自身、わが子が自閉症だとわかってから2年も経っていない頃で、話しながら言葉に詰まってしまうこともありました。
話をするたびに、ものすごく消耗しました。そして、アンケートのコメントから「伝わったんだ」という実感をもらい、エネルギーを補給していました。

メーリングリストやブログを続けていく間も、「共感してほしい」という思いは常にありました。
それは、言い換えると、「他人事ではなく、自分ごととして考えてほしい」という願いでした。
手ごたえがあるときもあれば、ないときもありました。けれども、私は、とても恵まれていたと思います。顔も知らない、無数の仲間の存在を実感できていたから。

発達障害者支援法を成立させるための運動を、ブログで展開しました。
すごい数のひとたちが、ここに立ち寄り、協力をしてくれました。
今でも忘れられないのが、「120人の意見書」──リアルタイムでコメントされるたびに衝撃を受け、涙しました。

『ぼくらの発達障害者支援法』の編集のため、「120人の声」をもう一度読み直した時、再び感情を揺さぶられ、涙が止まらなくなりました。

共感──という意味では、本当にひとりひとりの体験にシンクロして、わけがわからなくなるくらい苦しくて痛くてつらくなりました。

しばらくして、自分がひどく消耗していることに気がつきました。

「共感」にはエネルギーが要ります。

理屈ではなく、心で感じなければならないから。

そして、感情エネルギーには限りがあるという事実を知りました。



わが子の障害を知ったとき、親は、とても感じやすい、脆い状態になります。
そして同時に「この子のため、何かやらなければ!」というパワーも生まれます。そのとき、親は子を守るための「無敵状態」に自分が入ったかのように錯覚します。が、無敵はありえません。エネルギーゲージには限りがあって、使っていけば確実に減るのです。

だれかのお話を聞いて、「これは他人事ではない! 私が行動を起こさなければ!」と思うことは、本当にすばらしいことです。実際にわが子のためになることかもしれません。

けれども、私は、あえて語りかけたいのです。障害がわかったばかりのあなたに。

「それは他人事ですよ」

と。

世の中には、自閉症に限ったとしても、数限りなく、悲惨なこと、つらいこと、かなしいことがあふれています。
そのひとつひとつに、シンクロしていたら、心がもちません。

共感できるあなたは、とても優しいひとだ。
きっと友だちになれると思う。

まずは、ご自身のことを考えてほしい。そして、本人のことを。

「無敵状態」のとき、すごい勢いで色々やりたくなることがあります。でも、揺り返しは必ず来ます。
なぜなら、あなたは無敵ではないから。むしろ、とても傷ついていて、傷つきすぎて、自分がどれだけ傷ついているかさえ自覚できなくなっている可能性さえある。
客観的に見たら、ひどく無防備で、やわらかいところをさらけだしている状態。

だから、余裕ができるまでは、「他人事」と「自分事」の線引きを意識して、暮らしを立て直していったほうがいいと思うのです。
周りの人に甘えていいんです。
そして、いつか、余裕ができたら次の困っている人への「ご恩送り」ができたらいいですよね。

「障害児の親」に対して、世間(のようなもの)は、なんだかわからない圧力をかけてきます。

私はムリ、そんなふうにはなれない。と思えるひとは大丈夫です。OK。

圧力=期待(のようなもの)に応えようと無茶をするひとに向けて書きました。
(私は、あなたのようなひとが好きだ。)

無理をせず、細く長く生き延びましょう。あなたは、自分を甘やかすぐらいでちょうどいい。