「立川での事件」記事へのokoさんのコメントへの私のお返事をエントリしておきます。

その「祈りに似た感情」よくわかります。
「あの時(わが子と命を断つことを)とどまって良かった」というのも…。

「思うこと」と「実際にしてしまうこと」は、全くちがいます。

「思うこと」に罪悪感を感じすぎて、自分を責めてしまう親たちがいます。
そういう方たちに、伝えたいです。

それは、みんな通ってきた道、
「思うこと」と「すること」は全くの別物。
だから、そういう自分の中の「オニ」を外に吐き出して、誰かに聞いてもらっていいよって。

私たちが、自分たちの経験を語り合うことも、
とっても意味があると思います。

「それは、あなたがそうであっただけで」「だれもが同じとは限らない」と批判を受けてもいいじゃないかと。

ひとりひとりの痛みは、そのひとだけのもの

だけど、癒しの過程は、似た道を通るもののようだから。
語っていきましょう。

このコメントをTwitterでもつぶやいたところ、たくさんのリプライをもらいました。
「自分もそうだった」「語っていきましょう」と。

うれしく感じながら、まだ何か言葉にしなきゃ足りないことがある気がしてきました。

自分もそうだった…
だけど、今はこんなに平気だよ…

そう語っておしまいにしてしまえば、「サクセスストーリーのようなもの」として受けとめられて、
「私にはきっと無理だ」
という絶望はうめられないだろう。

本当のことを語らなきゃ。

最悪期を脱しても、悩みは続きます。

「今はいいな。しあわせだな」と思える時間はだんだん増えてきます。
だけど、いつも「小康状態である」という意識は片時も消えないんだよ。
いつ急変するか気が抜けなくて。

自閉症が治って、フツウになりました…なんてことはないからね。

でもさ、
そんな不安や心配を常に抱えながらだって、
とりあえず、生きているよ。

僕たちは、悲劇の主人公ではない。

不謹慎で不真面目で、100%わが子のことを四六時中考えてなんかいない。
時に仕事に没頭し、時に趣味を楽しんだり、友だちと遊んだり。

私たちは、
不安に悩み苦しみ、
にもかかわらず、くだらないジョークで爆笑するような、
俗な、煩悩のかたまり

子どもを慈しみつつ、憎たらしくて、邪険にするときもある(あとであやまる…)

不安や心配と背中あわせでも、笑ったり、楽しんだりできる、そんな日常があるんだよ。

バラ色ではなくても、平凡なくらしは、
僕らにもあるんだよ。

絶望から大爆笑まで、スペクトラムでつながってるんだよ。

なんて、
あんまりかっこよくない、ドラマにはなりようのない毎日の私たちを語れたらいい。

しにたくなったり、
世界でいちばんしあわせに感じたり、
スペクトラムな人生みたいだよ。どうやら。
私もまだまだよくわからないけど。
それなりに大丈夫みたいだよ。

だよね?みなさん(^^)