ウォーリーさんに電話をしました。
厳しい現実に、歯ぎしりをしている状況のようでした。

なのに、

「あんな、暗いコメント書いちゃって、ごめんね。かえって、心配かけちゃったね」
「ブログ、毎日更新していてすごいね! 自分にはできないよー。いつも楽しみにしてる」

とかえって私に気をつかってくれました。

あまり電話ってしないんだけど、こういうときは、やっぱり声が聴けるっていいですね。

話したからって、状況が変わるわけではないけれど、それに立ち向かう主体のエネルギー補給になるんだと思います。

ブログに記事を書く
 →その記事にコメントを書く(これってすごく敷居が高い)
   →そのコメントに対してコメントをする

という行為も、現実を変える力はないけれど、立ち向かう主体にエネルギーを与えてくれます。これは間違いなくそうだ、とこれまでの経験から保証できます。

あき母さん、コメントありがとうございます。

仕事は、お客さんがいて、その人へのサービスをして、その「対価」と交換するものです。「対価」はお金であることが多いのですが、「お金」+「感謝」であってもいいですよねぇ。

「この仕事は、お金のためじゃない」というせりふは、「お金のため、だけ、じゃない」と読み替えたらいいと思う。

逆に、お金のため「だけ」だったら、こんな仕事やってられないよ!ということは、けっこうあるわけで。

でも、このあたりのことを一般論で論じると価値観の主張に終始してしまいますね。

確認したいことは、あき母さんが、思い出させてくれた──
TEACCH=構造化みたいに思われがちだけれど
「療育者と保護者は共同治療者」という基本理念は
もっと強調されるべきだと思います。
親だけが抱え込む必要はない、
でも丸投げしてもいけないんですよね。
自分の子どものことなんだから。

これ、ですよね。本当に、そうだ。私も、もう一度心に刻んでおきます。

ぴこりんさん、コメントありがとうございます。

「くじっけっぱなしですよ」って──凹んだ状態が私たちの常態なのかもしれませんね。

がんばっても、がんばらなくても、日々は過ぎていきますが、
少しでも「よい方向に向かおう」と希望を捨てず、努力をしているから、くじけるのだと思います。

逆流を遡上しようとしているから……。流れに身を任せちゃえば、きっと、何も感じなくなるのでしょう。



今回、支援者であるウォーリーさんに、カイパパがかける言葉を見つけられなくて、頼ってしまいました。

気がついたことは、自分にできる範囲で、「知ること」、「理解しようとすること」ですよね。

「お互い様」という、いいことばがあります。

お互い様だから、助け合って生きましょう^^