「支援者へのことば」の呼びかけに応えてくれて、@copeindealtさんがブログ記事を書いてくれました。

・施設で働くということ、個人や家族に向き合うということ - copeindealtの日記
http://d.hatena.ne.jp/copeindealt/20110219/1298125222
ウォーリーさんのようなやりがいは、ぼくも深く感じています。きっと良心的な支援者であれば、だれでもその気持は「他人より強い」と思っているはずです。何か自分が上手くいかないときや責任を重く感じる時、そのやりがいが内生的な仕事のモチベーションとして大きければ大きいほど、個人でその重圧を「真に受け」てしまう。

だけど、残念ながら利用されている方ひとりひとりは、ぼくらと同じように、「その人の人生」はその人のもので、ぼくらが勝手に責任を引き受けて良いものじゃないんだと思うんです。だからチームで人の命を、自立を、成長を支援する必要がある。

もちろん、ぼく個人の責任は大きいです。家族や組織が「あなたの責任だ」と言ったとしても、そもそも無限の責任を背負えるものだろうか?でしょうか?有限だからこそ、量や具体性があるから背負うこともできるのだし、仕事として人の人生に向き合えるというのが、正直なぼくの考えです。

残念ながら、ぼくは利用されている障害者でも、その親や兄弟でもなく、ただただ「きみ」に出会ったひとりの支援者なんだ。

むしろ、その無力感にも近い、自分自身の「弱さ」をそのまま受け入れてくれるような環境が、チーム内でも良いし組織内でも良いし、外部でもいいんだけどあればとずっと思っています。いや、正確にはぼくにはある。だから、今のぼくがある程度重要な仕事を任されて仕事できているんだろう。

家族も支援者も、自分が「〜だから」と当事者性を背負ってしまうとなかなかそこから抜けだせません。

ぼくは昨年、本当にダウンしてしまったりもしました。それは、「リーダーだから」「これが役割だから」「先輩だから」「責任があるから」と、いろいろ実践を抱え込む状況があったからです。

今は、むしろぼくは「支援者としての当事者性」を降りながら新しい実践や現場づくりを考えようと思っています。

また家族の方や、広汎性発達障害の方に関わることがあるので当事者だと知っている利用されている方へも、当事者であることから降りれるような支援を考えています。


「当事者であることを降りる」──具体的には、まだ私には見えていませんが、刺激されるコンセプトです。

長文だけれども、経験に根ざし、そして太い幹をもった「決意」であり「エール」になっています。ぜひ全文も、読んでみてください。

@copeindealtさんありがとうございます。@satomiesにも感謝!



今回、@copeindealtさんは、私の記事とウォーリーさんのコメントを読んで、新たにブログを開始されたとのこと。そんなきっかけになれたことをうれしく思います^^

ウォーリーさんからもコメントが届いています!
自分が伝えたかった事。
「支援者の人たちが『この仕事っておもしろいよね』 って常に思っていてもらいたい。そのためには支援者に対する支援も絶対に必要」
今度はシンプルに書いてみました。