「支援者へのことば3」に、いただいたコメントが素晴らしくて、紹介したいので、もう少し続けます。

ピッタンさんからのコメントです。
「支援者へのことば」を読ませて頂いて、息子が小学校の支援学級2〜4年まで療育を受けていた先生の言葉を思い出しました。

「いくら学校の先生やヘルパーさん、お医者さんでも結局は普通の人なんですね。噛まれれば痛いし、障害者があるとはいえ本人や保護者からあまりにひどいことがあると、とても辛いんです。そういう事があると内心構えてしまいます。療育は支援者と保護者が協力しないとうまくいきません。人から可愛がってもらえる青年を目指して一緒に頑張りましょう。」

 こう言われた時、プロといわれる先生方や施設の職員さんに過度に頼っていないか自問自答しました。

カイパパも、「専門家だから、なんとかできるはず! なんとかして!」という思いをいだき、幼少期の混乱を「なんとか」できない専門家に失望し、冷たくあたったことがあります…。

今思えば、あれは痛かっただろうと……。カイがしあわせにすごせるように、親御さんが少しでも楽になるように、という思いをもって接してくれていたのにな。

カンタンに劇的な変化、なんて、ね。(涙)

あき母さんのコメントです。
障害のある子どもだけでなく
その家族も支援する必要がある、
「支える人を支えなきゃ」それと同じ話だと思うんですけど

ああー。そうか。

家族も、「支援者」なんだ…。

それを思えば、当たり前のことだ。
「家族支援」が語られるのと同じように、「支援者支援」が当たり前に語られたらいい。

「専門家と家族は共同治療者」というTEACCHの理念は、家族=支援者の側面を明確に表現していたんだ。

あき母さんのコメントはこう続きます。
その支援の連鎖の最後尾の人はどうするんだろう?
一番最後の、本当はいるはずもない「誰か強い人」が全部の重みを支えることを期待したら、みんなが倒れちゃう。ドミノ倒しみたいに。

前記事のカイパパさんの「お互い様」って言葉がヒントだと思います。
ドミノを「人」の形に置けばきっと倒れないで済む。

すごくないですか?

「人」の形のドミノ──どうやったらできるかな?^^
一緒に考えていきたいです。