以前、わが子の障害が分かったときの喪失感について、「未来イメージの死」とたとえて書きました。

・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
 私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

 赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

 それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

あき母さんのブログで、「オランダへようこそ」の詩を知りました。

・The Beauty of Holland(美しきオランダ):AUTISTICな日々
http://akihaha.blog17.fc2.com/blog-entry-112.html
赤ちゃんが生まれる前の気持ちは、イタリア旅行を計画するのに似ている。ガイドブックを買い込み、あれこれと夢想する。
コロッセオ。
ミケランジェロのダビデ像。
ヴェニスのゴンドラ。
ちょっとしたイタリア語会話も練習しなきゃ。とても、とてもワクワクする。

ついに出発の日が来た。荷物を詰め込んで、意気揚々と飛び立つ。
数時間後、飛行機は着陸。乗務員が告げる「オランダへようこそ」

「オランダ?どういうこと?私はイタリア行きの飛行機に乗ったのよ?ずっと、ずっとイタリアへ行くのを楽しみにしてきたのよ!」
「やむをえない事情でフライトが変更になったのです。オランダに滞在していただかなくてはなりません。」

ここで重要なのは、彼らは何もあなたを恐ろしい場所、忌々しい俗悪な、あるいは飢えに見舞われた不衛生な場所に、連れて来たわけではないということ。
ただ単に、違う場所に来てしまっただけ。

だからあなたは新しいガイドブックを買いに行き、新しい言葉を覚えなければならない。
出会うはずもなかった人たちとの、新しい出会いだってあるでしょう。

ただ違う場所に来ただけ。
ここはゆったりとした時間の流れる場所。イタリアのような華やかさはないけれど、ひといきついて辺りを見まわせば、ここには風車がある。チューリップもある。レンブラントも。

でも大勢の人々は毎日忙しくイタリアへ行ったり来たりしている。
そこがどれほど楽しかったか、口々に自慢する。
あなたはつぶやくことだろう、「私もそこに行くはずだったのに。私もそうするはずだったのに。」

そして胸の痛みは決して、決して消えることはない。
失われた夢は、あまりにも大きいから。


でもイタリアに行けなかったことを嘆いてばかりいたら、ずっと心は囚われたまま、この素晴らしい、愛すべきオランダを楽しむことはできないでしょう。

ああ……そのとおりだ。

診断を、「もらいに行く」親の気持ちを、あき母さんはこう記しています。

・失うもの:AUTISTICな日々
http://akihaha.blog17.fc2.com/blog-entry-400.html
「オランダへようこそ」という詩では
イタリア行きと信じていた飛行機が断りもなく勝手にオランダへ不時着してしまうわけですが
発達障害の診断をもらいに病院へ行くというのは
いわばイタリア行きのチケットを自らの手でオランダ行きに交換しに行くようなもので。

だとしたら、震える手でチケットを握り締めたまま
窓口から回れ右してしまう人がいたって不思議ではないし
責めることもできないわけで。

でも無理やり乗り込んだイタリア行きの飛行機が
やっぱりオランダに行ってしまったり
下手したら事故で墜落してしまうことだってありうるわけで。

混沌のなかにいる(本人も家族も)幼児期がやっぱり凄く大変で、どうサバイバルするかが難しくて。
どうしても、イタリア行きに執着している頃(「この子に障害なんてない!」)は、診断を勧められることを、「侮辱」ととらえてしまったり…。

こうままさんの言葉をかりて、伝えたい。

・お母さんも十人十色: こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/181701717.html
みんながみんな
子どもに障害があるってわかって
前向きに療育に励めるわけないじゃん。

なのに
前向きに頑張ってるお母さんは評価されて
そうじゃないお母さんが非難されるのは理不尽だって思う。

私は
内心では分かってるんだけど認めたくなくてもがいてるお母さんが愛おしいです。
自分もそうだったから。

「視点」を、困っている本人に転換できたら、早く診断があるほうが手だてがとれていいんだけど…、
イタリアを夢見ている時間も、あっていいですよね。少しくらい、夢も見させて、と。

あき母さんは、こう結びます。
診断の前後で子ども自身は何も変わらないけれど
何を失って、何を得ることになるのか。

せめて先に住んでいる者は
オランダにもっとたくさんのチューリップを植え続けなきゃなって思います。
自分たちのためだけにでなく。

うん。そうだ。
地域を耕して、チューリップが咲きほこるようにしたい。

もう一度こうままさんの記事を引きます。
こうままは、ずっとチューリップを植え続けている人。

・半分はこうくんのために: こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/182616929.html
いいな〜
こんなとこに通いたかったなぁって。

自分たちの時は望むべくもなかった状況を前にして
悲しくなっちゃったりしています。

私は、母子通園なんてイラナイって言ってた人間ですが
こんな母子通園だったら、ホント、通いたかったって思います。
10年前に戻ってやり直したいくらいです。

ゆうが母子通園するなら、母が傷つかない施設にしたかったから
とよっちと戦って、怒鳴りあって議論しまくった1年だったけど
プロフェッショナルなスタッフ達のおかげで、私が思っていた以上の空間になっています。
本当にスゴイです。

それを目の前にして
自分が望んでいたことなのに、
私がこうしてってぎゃーぎゃー言ってワガママ言って
無理難題を押しつけてきたのに、
実際にそうなってみると
何というか
悔しいし悲しいと思ってしまう自分がいます。

アホみたい。

みんなで幸せになりたいって思ってやってきたんだから
こうなるのは当たり前なのに。

こうくんと私や家族だって
幸せになっていいはずだよね?

またまた
明石洋子さんの言葉がリフレイン。

半分はみんなの子どものために
半分は自分の子どものために

複雑な思いを、抱えながら、僕たちは歩いていく。

それでも、チューリップ、植えましょう! 赤、白、黄色♪
飛行機からも見えるくらいたくさん。

オランダもわるくない。ぜんぜんわるくない。