2月2日の夜に「頑張れって言わないで: こうくんを守れ!!!」の記事を読んで、私はこんなことをツイートしました。
早朝に、@naokonagataさんが、こんなツイートを返事してくださいました。
この2つの区別は、とても大きな気づきを与えてくれました。
・「ありのままのわが子でOK」ということと、
・「未だ傷が癒えない自分」は、
共在する。
支援者の、「あの親は受容できてる/できてない」の品評が僕はやっばり嫌だな。すごい違和感があって、わかりあえなさを感じてしまう。なんでそんなふうにいえるの?って posted at 23:51:00
私は昔、支援者寄りの存在ととらえられて、「困った、しょうがない親」についての愚痴?を聞かされて、おいっと思った。いつもこんな品評してるのか?だとしたら相手に伝わってるよ絶対。ランク付けになってしまっている。それはプレッシャーになる。 posted at 00:02:03
もちろん、親御さんとの対応に真剣に悩んでいて、どう接したらいいかという相談で、受容云々が出てくるのはアプローチを考えるために手がかりにはなる。品評やランク付け、無意識に、受容がゴールみたいにとらえ、いつか誰もがいかなきゃならない段階みたいな認識が、危ない。 posted at 00:10:28
早朝に、@naokonagataさんが、こんなツイートを返事してくださいました。
@kaipapa2shin @koumama_はじめまして。フォローありがとうございます。受容には二つあるのではないかと・・・。一つは子供の障害の受容。もう一つは、「障害のある子を授かった自分自身の傷つきの受容」。私は二つめの部分が認められず、自分に頑張ることを強いていました。 posted at 05:07:40
この2つの区別は、とても大きな気づきを与えてくれました。
・「ありのままのわが子でOK」ということと、
・「未だ傷が癒えない自分」は、
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