テレビもネットも新聞も、つらくて見ていられないときは、
物語を読むといいと思う。

地震が起こるずっと昔に書かれた物語を本棚から取り出してみる。

僕は、『はてしない物語』を読んでいたよ。
映画「ネバーエンディングストーリー」の原作(「りまーる」とつぶやいておく)。

「旅」のことを考えていて、無性に読みたくなった。
最初に読んだのは、中学生か高校生の時。あの時には、ただのファンタジーとして読んでいた。
今読むと、暗示と寓意に満ちた物語に驚く。

ファンタージェン国は、「虚無」によって蝕まれている。
「虚無」にのみこまれると、「そこにあった」はずのものが消えて無くなる。
そしてその先にはもう何もなかった。なんにもなかった。はげ山でもなければ、暗くなっているのでもなく、ぱあっと明るいのでもない。それは、目が耐えられなくなる何か、視覚がなくなったのかと思わせる何かだった。目というものは、まったき無を見つづけていられるものではない。

そして、「虚無」に自ら飛び込んでいく者たち──
不気味な恍惚状態でかれらがじっと見つめているもの──、アトレーユもそちらに目を向け、そして、見た。原っぱの向こうに、虚無が広がっているのを。

虚無は目の前全部を斜めに区切って大きくすっぽりと包みこみ、ゆっくりと、しかし一瞬も止まることなく、じりじりと近づいてきていた。

原っぱの妖怪たちがぴくぴく動き始めたのに、アトレーユは気がついた。…一陣の風にあおられた枯葉さながら、全員が一斉に虚無に向かって走りだした。そして、つっこみ転がり込みとびこみして、あっというまに吸いこまれていった。

妖怪の群れの最後の一人が音も立てず跡かたもなく消えうせたと思った瞬間だった。アトレーユは自分の体が少しずつ、ぐいっぐいっと虚無に向かって動きはじめたのに気がつき、愕然とした。虚無の中にとびこんでしまいたいという欲求が圧倒的な強さで襲いかかってきたのだ。

虚無とはなんだろう? 物語では、ファンタージェン世界での一応の謎解きが与えられる。その解じたいも、滋味深く、物語の醍醐味に満ちたものだが、語られていない、深いところに思いを馳せてしまう。

僕が実感として「知っている気がする」、「虚無」とはなんだろうか。あなたにはわかるかもしれない。

アトレーユは、「気力をふるいおこし、歯をくいしばってふんばった」。
そして、ゆっくりと、じつにゆっくりとながら向きをかえ、眼に見えない強い水の流れに逆らって進むように一歩一歩を前に押しだし、ようやくそこから離れることができた。吸引力が弱まった。アトレーユは力のかぎり走って、でこぼこの石道にもどった。霧の中で、滑って転んでははねおきながら、その道がどこへ通じるのか考えることもせず、走りに走った。

目というものは、まったき無を見つづけていられるものではない。
虚無の中にとびこんでしまいたいという欲求は、どこからやってくるのか。
その時に、気力をふるいおこし、歯をくいしばってふんばることができるか?

いや、こども向けの物語なんですけどね。おおげさに、深読みして語りすぎるのもどうかとおもうんですが。
地震が起こる前から読みだして、今日読み終わって、書いておきたかったので。

はてしない物語
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