「定まらない思い、通奏低音と祈り」に、ピッタンさんがコメントをくれました。もう一度記事のかたちで返させてくださいね。

>私のコメントで カイパパさんの苦しい真情を吐露させるような結果になってしまい本当に申し訳ありませんでした。

ピッタンさんへ

そんな、あやまらないでください!
私はむしろ感謝しているのです。ピッタンさんがコメントをくれたことに。
そのコメントをきっかけに、自分の深いところに降りていくことができました。

ピッタンさんのお名前を出して記事にしたので、ショックを与えてしまったかもしれませんが、「ピッタンさんへ」と書き語りかけることで、自分は、初めてあの記事が書けたのです。

だから、感謝しているんです。

「「西日本からできること」をめぐって」の記事もそうですが、一定の間隔で、真情を吐き出しておくことが私にとっても必要なことなのだと思いました。

「瀉血」のようなものだと思います。

このブログでの、私は自由です。
何を書いてもいいと思っています。

何を書いていても、この7年間の積み重ねと、訪問してくださる方との信頼関係があれば、伝わる。
サクラの写真ひとつでも、込めた思いが伝わる。
時には、書かないことが、それはそれでメッセージになる。

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルは、「勇気と知恵を与え合う」ことがコンセプトです。
だけど、昔から、楽しさやよろこび、ばかりを書いてきたのではなかった。
かなしみや痛みや不安、時には怒りも、書いてきました。

時には、無敵状態にもなり、時には、ヤセガマンもし、時にはburst into tearな時もあり……

本当に、憂鬱なときは、憂鬱な記事は書けないものです。少し時間をおいて、最悪期を脱したときに初めて書ける。
だから、憂鬱な記事が出ているときは、「最悪期を脱した」んだなとわかる。

最初このブログを始めたときは、「ただの父親」を自認していました。途中、なんだかえらいことに関わって自己評価がインフレしていた頃もあり、その後ブログからは一時引退し、再開して今があります。

再開して、3か月。続けていく自信を持ち始めた頃に、震災がありました。

偶然とはいえ、「今、自分が発信できる状態でいること」には意味があると思いました。
もし、ブログ再開前だったら、もう二度と発信できなくなっていたかもしれません。

今は、自分のことを、「一介のブログ書き」だと呼ぶのがしっくりきます。

通奏低音を響かせながら、日々記事を引き続き書いていこうと思っています。

ピッタンさん、元気をなくしているのはみんな同じです。ほっておくと、どんどん元気ゲージが目減りしていきます。
だから、仲間と愚痴や弱音をシェアしたり、光を見つけて前を向いてみたり、いろいろやっていきましょうね。

長くなりました。またまた、記事の形で返してしまいました。ありがとうございます。