すごく響いた、宇多田ヒカルさんのツイート。

2011/04/05 12:48:43
「経済まわすために遊べ!」と言われても気分は盛り上がらない。でも非被災者・非被災地だって、いつ何があるか分からないんだから、全てが「今しか出来ないこと」。周りの目を気にしての合同自粛や、自分らはいつまでも平穏に生きられるという思い上がりからの自粛は、誰のためにもならない。

詩人のつぶやきを解説する無粋を承知で、このことばが語っている真実を書き留めておきたい。

二つのことを語っている。

ひとつは、自粛からくる閉塞感──これは、多くの人が感じていて、言語化できているものだ。

もうひとつは、自粛とか言ってることの「思い上がり」──特権意識、を指摘している。
本当に安全だと思っているの? あなただけは決して災厄に遭うことはないの?

答えは、NOだ。
だれだって、どの地域だって、「絶対に安全」だなんて言えない。
不確実な大地の上に立ち、生きているのだから。

だとしたら、

今、この瞬間に、やりたいのに、自粛して見送ったことが、
もしかしたら、もう二度と一生やる機会なく、終わってしまうかもしれないんだ。

本当にそれでいいの?
そう問いかけられている。

僕が感じる、この「不自由さ」──

やりたいことをやってはいけない、と思っている。
やりたくないことをやらなくちゃ、と思っている。

どちらも、「自分らはいつまでも平穏に生きられるという思い上がり」の上に立ち、被災した仲間たちを憐れんでいると同じだ。

やりたいことはやろう。この一瞬は永遠にはつづかないんだ。
やりたくないことはやめておこう。心が自由でなくちゃ優しくなんかなれないよ。



この週末は名古屋城へ行こう。
家族で桜を見に行こう。