穴を見つける会(1)(2)(3)(4)からの続きです。

そもそも、「穴」ってなんだろう?

これは、「貧困は、社会の死角」というタイトルのイメージ図です。
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「病院」「年金」「障害」と様々な制度から出ている光があります。

光は、指向性を持って、一方向に進みます。複数の光を出しても、光が当たらない狭間=死角ができます。

制度に張り付いて光をあてる(制度本位)←これが、現状

に対して、

人に張り付いて光をあてる(人本位)→パーソナルサポーター


ここで、連載(1)の戸枝さんの発言に戻ります。
「湯浅誠さんが言う、『パーソナルサポーター』ってどんな制度だ?と聞いても、話がかみあわなかった。
どうもこれは、制度じゃないようだ。

色々な制度がそれぞれ困っている人に光を当てて、救おうとしているが、制度の死角になっていて光が当たっていない、どの制度も対象としていない『穴』に落ちている人がたくさんいるだろう。
本当は困っているんだけれど、見えていない人たちに光をあてることができないか?

新たに制度を作る解決は、つくっても死角は残るわけで、それをどうしようか、を考えてみたい」

私なんかの発想だと、光源を増やす、光の当たる幅を増やして、死角を減らすという提案に行きたくなります。
発達障害者支援法は、法律制定→支援センター整備→見過ごされていた存在に気づく役割を果たしたと思っているから。

でも、会の後に、戸枝さんと話していて、気づいた。

◯「穴にいる」ということは制度を当てにくい理由がある。
⇒数が少ない?類型化しづらい?地続きになっていて区別ができない?流動的?などなど

◯制度によるアプローチがしづらく、支援資源(主体もお金も)も用意できるのかといったら、際限なく拡大していく必然をはらんでいる。

で、

穴を見つける会は、何を、したいのか? 何をやろうとしているのか?
(すみません。結論があるわけじゃなく、書きながら考えているので、もやもや・ぐるぐるしています)

穴を見つける会の開催チラシには、目標として、個人レベル=「一人ひとりが支援を“あきらめない”パーソナルサポーターになる」とありました。
これは、個人レベルでは、できそうなことです。

できそうだというのは、こういうわけです──

個人の「意識改革」によって
 ・できないと決めつけていた←その理由は「制度範囲外だから」「自分の専門外だから」
 ・やってみた←専門家の殻を破って、制度の枠を踏み越えて、手をさしのべる
 ・変化を起こせた!

──これは、今までも起きてきたし、これからも起こすことができる。
(ただ、私は、「意識改革」というアプローチには、構えてしまうものがある。このあたりのことは、いつか考え語ってみたいと思っています)

ヒントになりそうな、湯浅誠さんのふわりんクルージョンセッションでの発言を引用しておきます。
制度というものは必ず縦割りなんですが、問題は担い手が縦割りになってしまうことです。制度の縦割りを受け入れ内面化してしまうことに対し、それを自覚的に捉え直していれば、 こうした動きを色々なところにつなげていけると思います。

日本では非常に制度内ソーシャルワークが多く、その制度だけではカバーできないのが見えるはずなのに何もしません。そこをちゃんと問題にして、地域の中でできることがあれば作っていくことです。

「制度の縦割りを受け入れ内面化してしまう」ということは、誰しも心当たりのあることではないでしょうか。社会で働き、生活していく上で、「だから、仕方がない」と自分の中でつぶやく(自分を説得するため。言い訳。)

穴を見つける会の今回のトリガーフレーズは、「それはわかっているんだけれど、どうしようもできないんだよね」でした。「どうしようもできない」と言い切らなくても、「難しい」とひと言口にしてしまえば、思考が止まります

「意識改革」なんて、おおげさに言わず、この会では、思考停止をやめてみませんか?と提案しているのかな。
自分ひとりで社会の矛盾を背負いこむような気負いはキケン。
なので、この不思議な会に集まった仲間たちと、とりあえず、思考を進めてみませんか?と。

解決策や、制度提案が、ゴールではないんだ。
思考停止をやめる。
それだけでいい。

あとは、Let it roll!

(長々と書き綴ってきて、やっと会の存在意義が腹に落ちてきました。ここまでつきあってくださった読者の皆様ありがとうございます。わかりづらい連載記事ですよねー。でかすぎる問題に対するカマキリ的アプローチ。「このもやもやがタマラナイ」ってなったマニアのみなさまにはザンネン(?)次回最終回です(予定)。)

★連載記事です。(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)