「明日という言葉は、どうして明るいって書くんだろう?
明るい日じゃなかったら、誰も明日を待たないからか…」
(スガシカオ:「サヨナラホームラン」 goo音楽歌詞)
震災から1週間目に書いた自分の文を読み返しました。
震災から2か月──
「明るい日」じゃなくても、明日をみんなで迎えよう。
明るい日じゃなかったら、誰も明日を待たないからか…」
(スガシカオ:「サヨナラホームラン」 goo音楽歌詞)
震災から1週間目に書いた自分の文を読み返しました。
疲れたね。長い一週間だったね。
これが、続くんだね。
これからは、美談よりも、利己的なギスギスしたイヤな話もいっぱい出てくるよね。
にんげんだもの。
余裕なくすと、ケモノが出てくるよね。
だから、余裕をもてる人は、持ち続けて、いさかいが始まったら「まあまあ」と言える状態でありたいね。余裕を分け与える行為を、たまにでいいから、したいよね。
なんか、自分は、元気を貯めとこうと思った。
寄付とか献血とかも、もう少し時間が経って、この危機が、日常化したときに、さりげなくしてやろう。
だって、長く長く続くんだもん。
最初の興奮だけじゃ長続きしないよね。
「惨めでかわいそうな被災者」と祭りあげては、「わがままで自己中心的な自称弱者」に貶めるなんてことがメディアは得意だけど、僕は、にんげんだもの、と初めから思っておこう。
無償で家かしてあげても、「なんだこんなオンボロ」と怒られるものだ、ぐらいにね。
住むところと仕事を無くして、家族まで失って、縁もゆかりも無い土地へ来て、「親切に感謝しろ」と周りから期待されてもね、、、
僕だったら、尊厳を保つことは難しい。
なんとかして、もといた町に帰ろうとするかもな。
それぐらいな想像力をもって、やっていきたい。
震災から2か月──
「明るい日」じゃなくても、明日をみんなで迎えよう。
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新生活にようやく慣れてきました。
元気も少しずつ取り戻してきました。
被災後の私の「明日」は、単に夜が明けてくる次の日でなく、深く暗い闇の夜をやり過ごし夜明けとともに希望の光が見えてくる日かなあ。
2ヶ月経ちました。
亡くなられた方に思いを馳せながらこれからの不安を抱え苦しい日々を過ごす東北の方々の、今この時を生きる辛さを考えたとき、かける言葉もみつからない私です。
私自身の生活もそうなのですが、なんとか希望の光を見い出したいところです。
『明けない夜はない』
時に崩れ落ちそうな自分と懸命に闘っている私。
ぶっちゃけて、今日一日を呼吸できていたことに感謝しながら今ある命を大切に生きていきたいと思っています。