「明日という言葉は、どうして明るいって書くんだろう?
 明るい日じゃなかったら、誰も明日を待たないからか…」
(スガシカオ:「サヨナラホームラン」 goo音楽歌詞

震災から1週間目に書いた自分の文を読み返しました。
疲れたね。長い一週間だったね。
これが、続くんだね。

これからは、美談よりも、利己的なギスギスしたイヤな話もいっぱい出てくるよね。

にんげんだもの。
余裕なくすと、ケモノが出てくるよね。

だから、余裕をもてる人は、持ち続けて、いさかいが始まったら「まあまあ」と言える状態でありたいね。余裕を分け与える行為を、たまにでいいから、したいよね。

なんか、自分は、元気を貯めとこうと思った。
寄付とか献血とかも、もう少し時間が経って、この危機が、日常化したときに、さりげなくしてやろう。

だって、長く長く続くんだもん。
最初の興奮だけじゃ長続きしないよね。

「惨めでかわいそうな被災者」と祭りあげては、「わがままで自己中心的な自称弱者」に貶めるなんてことがメディアは得意だけど、僕は、にんげんだもの、と初めから思っておこう。

無償で家かしてあげても、「なんだこんなオンボロ」と怒られるものだ、ぐらいにね。

住むところと仕事を無くして、家族まで失って、縁もゆかりも無い土地へ来て、「親切に感謝しろ」と周りから期待されてもね、、、

僕だったら、尊厳を保つことは難しい。
なんとかして、もといた町に帰ろうとするかもな。

それぐらいな想像力をもって、やっていきたい。

震災から2か月──
「明るい日」じゃなくても、明日をみんなで迎えよう。