ひと月ほど前に、@j_takapyさんが、Twitterで、
2011/05/15 22:04:47
私はこのチャレンジドという言い方に、以前から違和感を感じています。挑戦することを強いられているような気がして。理解不足なだけかもしれませんが。 RT @arai_takatoshi: 障害者のことを“挑戦する使命を与えられた人”という意味で“チャレンジド”と呼ぶそうですね。
とつぶやかれ、私も少しコメントをさせてもらいました。

そのやりとりのまとめ
・Togetter - 「チャレンジドという表現について」

最近「障害があるのは不幸に決まっている」についての感想(なのか?)を書いて、
映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」(感想記事)を観て、
自分が、どんなことを考えてきたか、振り返ってみたくなりました。

実は、「チャレンジド」という用語、コンセプトについては、ブログの初期から何度か論じてきました。

【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(1) 2004年2月17日
【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(2) 2004年2月18日
【言葉】チャレンジド=挑戦を受けた人(3) 2004年2月19日
 私にとって、カイを「チャレンジド」と呼ぶことはものすごく自然なことなのです。
「自閉症は文化である」とTEACCH部創立者ショプラー教授が価値転換を図っているように、わが子にとって、この世の中は異文化社会であり、わかりにくく、とても不器用で不利を背負ったカイは、やはり挑戦を受けている。
 そして、限られたツールで、勇敢に立ち向かい、日々成長していく姿を毎日見ている。
「チャレンジド」は単なる言いかえや「だからガンバレ!」といった無神経なスローガンではない。
 そして、特殊な存在を表す呼び方でもない。
 たまたま、偶然性が支配するこの世界で、確率によってチャレンジを受けることになった人々のことです。

この頃は「チャレンジド」というコンセプトはいい!という論じています。
(けど、「必死だな…」という、痛々しさも透けて見えますね)

その後、2007年になって、「チャレンジド再考」という記事を、天竺堂通信の記事をきっかけにして書きました。

・天竺堂通信:チャレンジド考
http://blog.livedoor.jp/tenjikudo/archives/50217332.html
「チャレンジド」の“反対側”にあるものが、言外に否定されている気がするのだ。「『挑戦』という使命や課題、チャンスや資格」があると決め付けることで、それをクリアできない人やクリアしたくない人を、差別することに繋がりはしないか? 「チャレンジドにふさわしい人」と「チャレンジドにふさわしくない人」を生み出す恐れはないか?

私は、「チャレンジド再考」ではこう書きました。
 ハンディのある人ほど「がんばれ」と言われている。多数派の社会、文化、価値観に合わせることを強制される。「歩み寄り」を、より多くもとめられるのは、障害を持っている人たちのほうだ。

 周囲の人たちも、自覚なく、善意の言葉として、「がんばれ」と言ってしまっている。

 だから、「チャレンジド」という、日本語ではない言葉を持ってきたとしても、今のこの国の土壌に置いた瞬間に、「チャレンジド=困難があるからこそ、人よりも余計にがんばらなければならない《義務》を課された人」という意味合い、言葉のにおいがついてしまうのかもしれない。

だいぶ「チャレンジド」ということばにかけた期待がトーンダウンしています。

「チャレンジド再考」に対しては、天竺堂さんから次のようなコメントをもらい、
カイパパさんは「勇敢」や「成長」などの言葉を使っておられますが、ほめればほめるほど“前向きな規制”は強まります。そのジレンマから逃れることは難しいでしょう。
カイパパさんご自身も、実は無自覚に言外で「がんばれ」とおっしゃっておられるのです(激励が悪い訳ではありません、決して)。

「うーん……」と考えて書いたのが、「続「チャレンジド再考」」



「なぜ私はこんなに必死で考えて書いたんだろう?」と思うんです。

それは、私が「親」として、「ブログ発信者」として、自分自身のスタンスを確かめる必要があったからです。

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルのコンセプト(一番最初の宣言)の再確認を、ある周期で、くりかえしやっているのは、その必要に迫られるからです。

「不幸だ」と落ち込むのがイヤだから、「チャレンジだ!」と前向きにふるまってみると、「前向きを強制するな!」と怒られて、「そんなつもりはないよ…」とうなだれていたら、「存在自体が負担…」とか言われて、前からも後ろからも矢が飛んで来る気分になって、「もうどうすりゃいいの〜」とか、くりかえし思ってきたんです。

ブログ再開して半年がたち、ちょうどコンセプトを確かめる時期なのかもしれません。