思考するとき、「言葉」を使って考える。
結果まとまったアウトプットは「言葉」の形をしている。
ひとりでノートに書き留めておけば済むこと。
でも、なぜか、他人にも聞かせたくなる。なぜ?

「言葉」は、他人とのコミュニケーションのために生まれてきた。
「言葉」には、宿命的に、他人に聞かれたい衝動が内在されていて、宿り主である人間を衝き動かすのだろう。

ひとり胸の中にしまっておくことは「意味がない」とかではなくて、「耐えられない」。
摩擦や衝突が予見できてもなお、「自らを表出せよ」、と「言葉」が命令するからなのか?



これは、ミーム(wiki)のことを語っている。