インセプション Blu-ray & DVDセット (初回限定生産)
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映画『インセプション』のなかで、ところどころ出てくる「アイデア」についての表現が印象に残った。

ウィルスや細菌より最強の寄生物は“アイディア”。
アイデアはウィルスのように感染する。
いったん頭に芽生えたら、取り除けない
アイデアは杭のように突き刺さる。

無意識に植えつけられた種は、樹木のようにひろがり生い茂る。

ミームは「文化的遺伝子」と訳語をあてられるが、その振る舞いを表現するために、ウィルスの比喩がしっくり来る。生物的遺伝子と比べて、複製・伝達・変異のスピードが非常に速い。その伝播は「感染」のようだ。

『インセプション』の感想を探していて見つけたブログ記事。

・detoured:インセプション
http://d.hatena.ne.jp/detoured/20100810/p1
しかし、「インセプション」の自己決定の原則は生の賛歌としてストレートに響かない。
というのは、自分のことは自分で決めるという考え自体がはたしてほんとうに自分のものなのか断言できないからだ。「インセプション」は、考える主体としての自己に疑問を突きつける。
ディカプリオによれば、アイデアはウイルスである。それは感染するものであり、他人に植えつけることが可能なものだ。
ウイルスに対して免疫機構が働くように、人は自分のものでない考えに抵抗するが、しかしそれをかいくぐってしまえば、ウイルスが人体組織を借りて自らを複製するのと同様にアイデアは自己の中で増殖する。
夢の中では萌芽にすぎなかった考えは次第に強固なものに育ち、現実の自分を支配する。自分の意志に忠実であろうとしても、その考え自体が外部に由来する借り物なのかもしれないとすれば、自己決定の論理は揺らぐ。

「自己決定の論理〜」は、劇中で語られるわけではなく、ブログ主のオリジナルな評。たしかに、こういう読み方はできる。

映画そのものは、すごくヒマならどうぞ(148分)、という出来ですが、私は、ミームのことを考えながら観ていて、人の意識の下の下に降りていくイメージは面白かった。夢のなかで夢から醒めた夢を見せることで、その「夢」を「現実」と信じさせる──とかね。

「現実」といっても、人は自己の脳が処理した「脳内現実」でしか外界を認知できないのだから。「客観的に存在する現実」といっても、個々人によって必ずズレた異なった「脳内現実」を持つことしかできない。
「現実を共有する」ということは、他人同士が互いに「私が見ている外界」を、言葉やイメージを使って示しあい、最大公約数的に、重ねあわせる作業だ。
とても手間がかかるし、七面倒臭いから、「同じ外界を見ている」という前提に立つことで、その作業を端折ってしまうが。そんな手抜きで、理解の橋がかかるわけがない。

同じ空間で、同じ時間に、隣り合わせて、同じ話を聞いても、あとで感想を言い合ってみたら、著しく違っていたりする(つい先日も)。けれども、いちいち確認する機会があればラッキーで、確認せずに、「いい話だったねー」と言い合って帰れば、相手が違った感想を持っていたことに気づくこともなかった。



この数ヶ月で、自分の、世界の見え方がだいぶ変化してきたことを感じます。
だから、ミームのことが気になるようです。
既に、流行でもなんでもありませんが(定着したわけでもなさそうですが)、今の自分の問題意識に役に立ちそうなので、こだわっていきたいと思っています。