成人ディスレクシアの独り言を紹介します。

まず、この記事を読みました。

・「知られてはいけない」と確信した日々〜社会に出て
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub6.html
結局、学校へも家にもそのまま帰る事は無かった。不良仲間の家を渡り歩くことをやめ、必死で仕事を探した。

ここで大きな壁にぶち当たる!!
当時の就職雑誌「とらばーゆ」を読みあさるも、中卒など雇用する会社は少ない。現場か飲食店に若干の求職があった。、選べる立場ではない事は承知の上だが、まず履歴書が書けない。道に落ちている雑誌や電話ボックスにあるタウンページ等から漢字を写し、何とか履歴書を完成させたが、きっと間違いだらけだっただろうと思う。

このサイトが、toraさんという今50歳くらいの識字障害(ディスレクシア)のかたの半生を綴ったものです。

上の記事は、当時ディスレクシアが知られていなかった頃、小学校でも中学でも「文字が読めない。書けない」ことでバカにされ、さぼっていると怒られ続け、高校1年生で家出をして働きはじめたときのことを書いています。

その後、必死に仕事を頑張って、安定した生活を築いたtoraさんは、43歳で初めてディスレクシアという障害を知ります。

・ディスレクシアだと知って 〜拒否と怒り
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub9.html
読み書きができても、オレはやっぱり勉強が苦手だったかもしれない。
でも、もしも読み書きができたら、オレは選べたんだと思う。

「オレは勉強嫌いやから、やっぱ働こう」とか「これやってみたいから、やっぱ大学行きたいな」とか。
読み書きができないオレには、選ぶことすら許されなかった。

LDに関係するホームページを読んでは、自分の状況を一生懸命メールで送ってみた。返ってくる答えはいつも同じだ。
「toraさんはちゃんと自分の好きな大工と言う仕事につくことができているし、評価もされているんでしょう?それでいいじゃないですか」

そうかもしれない。でもそうじゃない!!

オレが苦しいのは、今の仕事が嫌だからじゃない。
今の仕事に自信も誇りも持っている。好きな仕事だ。
でも、ここを選んだわけではない。ここしか生きる道がなかったんだ。
もしも自分で選んでこの道に入っていたら、こんなにもがくほどの苦しさはなかったかもしれない。

障害とわかっても、そのことだけで、救われるわけではないのです。
toraさんの体験談を読んで、そのことがよく伝わってきました。toraさんは数年間かけて、自分自身のこれまでの苦しみの原因と半生を受け入れて認めていきます。
長いですが、引用します。

・ディスレクシアだと知って 〜解放と希望
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub10.html
何か劇的な転換があったわけではない。
本当に日々の中で少しずつ少しずつ、「ああ、オレは文字が入りにくいというしんどさと生きてきたんやな。そしてこれからも生きていくんやな」ということが腑に落ちていった。

以前、妻から電子辞書をプレゼントされたことがある。「これで調べれば、思い出せなくても大丈夫だよ」そう言われたが、ほとんど使わなかった。
今出ているものに比べて旧式で、使いにくかったということもあるが、一番大きな原因は「そんなものを使っている姿を見られるのに耐えられない」からだった。
「他の人も普通に使っているよ」といくら言われても、書ける人が使うのと書けないオレが使うのとでは意味が違うと思っていた。
誰も笑わないのかもしれない。
誰もそんな細かいことまで気にしないというのは真実だろう。
それでも、そうは思えない自分がいた。
「書けないのでは?」と微塵も疑われてはならない。かくしてかくして、絶対に気づかれてはならない。そう強く思い込んでいた。

自分も、携帯電話を使って文字を調べている人をよく見かけるようになっきている。
「みんな調べてるなあ」わかってきてはいたが、どうしても笑われる気がしていた。

それが、ディスレクシアを知ってから数年後ぐらいから、「自分も調べてもいいんだ」と思えるようになってきた。
役所の窓口、仕事先の事務所、今でも書く場面は山ほどある。
以前の自分なら、ありえないぐらいに緊張したり、周囲を見回して書くべき文字の手本を探したり、あれこれ理由をつけてその場では書かずに持ち帰ったりしていた。かえって、かなり挙動不審だっただろう。
行く前から「書く場面があるかもしれない」とかなり緊張したりいらいらしたりもしていた。

そのストレスが、今はない。
携帯電話で調べればいい。やっと、心から納得してそう思える。行動に移せる。
「書いてください」と言われても、以前のように胸がぎゅっとなるような緊張をしなくなっていった。

なんて言ったらいいんだろう。
人は「たったそれだけのこと?」と思うかもしれない。
でも、オレには例えようもない大きな変化だった。
40年以上、ずっと「隠さなくてはいけない」と思っていた自分を、やっと隠さなくてもいいんだと思うようになった。そんな感じだろうか。

今年になって仕事関係で銀行の人と話していたとき、融資についての書類をたくさん書かなければいけない場面があった。以前ならきっとパニックになっただろう。でも、オレはその時本当にごく自然に「すみません。オレ書かれへんのですよ。昔から文字が入らなくて、ディスレクシアって知ってはりますか?」と言った。
担当の方はあっさりと「ああ、知ってますよ。そうですか。それは御苦労されましたね」と頷いてくれた。そして、オレが書くべきことについて、下書きをしてくれたり丁寧に本当に丁寧に教えてくれて、一緒に書類を作ってくれた。

ディスレクシアを知っていてくれたことはもちろん、初対面の人に本当にに自然に自分の苦しさをわかってもらえたことが驚きだった。
まるで「オレ近眼やねん」と言ったら「ああ大変やね」と言ってもらった感じだ。


…オレはその時本当にごく自然に「すみません。オレ書かれへんのですよ。昔から文字が入らなくて、ディスレクシアって知ってはりますか?」と言った。
担当の方はあっさりと「ああ、知ってますよ。そうですか。それは御苦労されましたね」と頷いてくれた。そして、オレが書くべきことについて、下書きをしてくれたり丁寧に本当に丁寧に教えてくれて、一緒に書類を作ってくれた。

こういうことなんだと思いました。
「知っている」こと。騒ぎ立てたり、動揺したり、色眼鏡で見たりすることなく、知っていれば、サポートできる。
この銀行員は、かっこいいです。

このサイト成人ディスレクシアの独り言を作ったことを、toraさんはこう語っています。
もし自分の障害を知っていたら、教育の機会が保障されていたら、私はあそこまで自分を追い込まずに済んだのではないか、何もかもをあきらめて来ずに済んだのではないか。救ってほしいのは、今の「私」ではなく、もがいていた子どもの頃の「オレ」です。

長い、とても長い間、自分は「文章」を書いたことも書こうと思ったことも、書けると思ったこともありませんでした。
パソコンや携帯に出会い、「下手な文字」「漢字の間違い」から解放されたことで、短い文章を必要に応じて少しずつ打つことはできるようになっていましたが。それでも、思いを全て伝わる文章に起こしていくことは、なかなか難しい現実があります。
今回、自分が書いたものを妻に読んでもらい、さらに当時の様子を話すことで、彼女に文章としては再構成してもらいながら、二人でこのページを作っています。
(Topページより)

全部のページを読みました。

自閉症以外の、発達障害について、自分はまだまだ無知だとあらためて自覚しました。toraさんの文章を読ませていただいて、少しだけ、ディスレクシアについて理解ができた気がします。

ぜひ、このサイトのことを多くの方々に知っていただきたいです。