Twitter界隈で(どこ?)、話題になっている乙武さんのツイート──「不幸」の烙印を押さないで──を巡って考えたことをメモしておきます。
乙武さんのツイートはこれです。
・「不幸」の烙印を押さないで:togetterまとめ
http://togetter.com/li/198105
この連続ツイートでの「主題」である出生前診断について、カイパパが書いた記事がありました。
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 着床前診断に関するメモ
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6802802.html
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 選べないからしあわせ
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6837338.html
2004年の記事ですが、読み返してみて、今の自分の感じていることとそう変わりませんでした。
乙武さんのメッセージ
には、共感しました。
で。
このツイートをきっかけに、「親のあり方、受けとめ方」についての議論が始まっています。
いくつか紹介したいと思います。
たとえば、これです。
・乙武さんのツイートから、障害受容について改めて考えてみる:togetterまとめ
http://togetter.com/li/198163
批判的に論じた記事もあります。
・乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20111008/1318099122
全文もぜひ。コメント欄も含めて、考えさせられます。
もうひとつは、乙武ツイートを「虐待」という視点から分析した記事です。説得力があり、とても胸痛く響きました。
・社会が押し付ける「良い親であれ」というプレッシャー - yuhka-unoの日記
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111009/1318152312
今、『機会不平等』斎藤貴男著(優生思想をベースにし、階級固定化を企図した教育改革、規制改革もろもろ…)を読んでいて、非常に暗い気持ちになっていることを申し添えつつ、「完璧なコドモ」を求め、それに相応しい「良い親」であろうとする(その逆も)努力を個人レベルで強いる(かつ個人レベルでは打開できない)社会は生きづらいですよね。
「だいたい」でいいと思います。満点なんて、幻想。
他人が言うことを真に受けるのはほどほどにしましょう。自分の心だってわからないのに、他人のなんて、ね。
語られたことが全てなわけではないし、嘘を言っていないという保証もない。他人の体験談は、あくまでも考えるための参考に 過ぎない。「だいたい」でいい。また変わるし。
こんな「適当」なことを言っていますが、しょせん他人のたわごとです。
もうすぐ明日ですね。とりあえず、リアルの荒波を乗り切っていこうと思います。
乙武さんのツイートはこれです。
・「不幸」の烙印を押さないで:togetterまとめ
http://togetter.com/li/198105
「もしも、自分が障害のある子を授かったら」――そんな視点から読んでいただきたい乙武洋匡による連続ツイートまとめ。
この連続ツイートでの「主題」である出生前診断について、カイパパが書いた記事がありました。
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 着床前診断に関するメモ
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6802802.html
★グロテスクな未来
・診断をせずに障害児や重い病気の子が生まれた家庭を指差して「あの商品(着床前診断)を利用しなかった愚か者だ」と哂う人がでる
・もしも診断をしたのに、障害児が生まれたら「欠陥品だ」と返品を求める、あるいは損害賠償請求をする消費者が出てくる
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 選べないからしあわせ
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6837338.html
★選べないからしあわせ
【気づいたこと】
・選べないことのしあわせもあるんじゃないか
=オプションがありすぎて、何を選んだか(選ばなかったことも含めて)すべて己の責任だと自分を責める苦しみが増えるばかりで、窒息しそう。
実際に人に選べていることなんて少ないのにね。
2004年の記事ですが、読み返してみて、今の自分の感じていることとそう変わりませんでした。
乙武さんのメッセージ
6.つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、わからない。どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転でHAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。それなのに、生まれた時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったいない気がしてしまうのだ。
には、共感しました。
で。
このツイートをきっかけに、「親のあり方、受けとめ方」についての議論が始まっています。
いくつか紹介したいと思います。
たとえば、これです。
・乙武さんのツイートから、障害受容について改めて考えてみる:togetterまとめ
http://togetter.com/li/198163
乙武さんの「障害ある子をさずかったら」という一連のツイート http://togetter.com/li/198105 をきっかけに始まった、主に自閉症療育クラスタ・心理学クラスタでの障害受容の議論をまとめました。
関心ごとは「障害の受容」とは具体的に何か、自分にとってそれはどのようなものであるか、それを客観的に測定する方法はあるのか、といったようなことです。
批判的に論じた記事もあります。
・乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20111008/1318099122
このtogetterを読んで「うわー、これはよくない」と思って、寄せられたブックマークコメントを見たら、みんな絶賛。世間的にはこれが「障害があっても人は幸せになれる」という美しい主張としてのみ受けとめられてしまう。自分は、障害児とその家族を支援する者である。無視できない。
彼のツイートの意図はどうあれ、これは「障害を受容できない保護者は望ましくない」「障害を受容できない保護者の子どもは苦労をする」というメッセージとして機能する。
全文もぜひ。コメント欄も含めて、考えさせられます。
もうひとつは、乙武ツイートを「虐待」という視点から分析した記事です。説得力があり、とても胸痛く響きました。
・社会が押し付ける「良い親であれ」というプレッシャー - yuhka-unoの日記
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111009/1318152312
これは障害児だけでなく、広く「虐待」というものを考えさせられるテーマだ。
結論から言うと、私は乙武氏のスタンスに疑問を持っている。なぜなら、子供を虐待する親のパターンとして、「良い親でありたい」という気持ちが強い人が多いからだ。だから、このような「良い親になってください」という形の呼び掛けは、逆に危険なのではないかと思う。
今、『機会不平等』斎藤貴男著(優生思想をベースにし、階級固定化を企図した教育改革、規制改革もろもろ…)を読んでいて、非常に暗い気持ちになっていることを申し添えつつ、「完璧なコドモ」を求め、それに相応しい「良い親」であろうとする(その逆も)努力を個人レベルで強いる(かつ個人レベルでは打開できない)社会は生きづらいですよね。
「だいたい」でいいと思います。満点なんて、幻想。
他人が言うことを真に受けるのはほどほどにしましょう。自分の心だってわからないのに、他人のなんて、ね。
語られたことが全てなわけではないし、嘘を言っていないという保証もない。他人の体験談は、あくまでも考えるための参考に 過ぎない。「だいたい」でいい。また変わるし。
こんな「適当」なことを言っていますが、しょせん他人のたわごとです。
もうすぐ明日ですね。とりあえず、リアルの荒波を乗り切っていこうと思います。
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