「この人はスゴイ! 私の気持ちを代弁してくれている」

 そう思う瞬間ってありますよね。「どうしてわかるの?!」って思うくらい。

 その人の語る「内容」が、自分の思いと近くて、ほとんど同じだ!とか。
 言葉にできなかった思いや考えを言葉で表現してくれたと思う。

 それは、その発言の「内容」にシンクロしているのですが、私たちはどうやら言葉の向こう側にいる「人」、にとらわれてしまう傾向があるようです。
 「この人」は私の代弁者だ、と。

「ああ、なんでこの人はこんなにわたしの気持ちがわかるのだろう」
「うんうん。そうだ。そのとおり!」
 と「代弁者」の発言は、いつも心地よく。胸をスカッとさせてくれます。

 が、幸福な蜜月は、それほど長くは続かず。

「あなたが、そんなことを言うのはおかしい」
「あなたはそんな人ではない」と腹を立てる時がやってくる。

 だけど、少し冷静になればわかりますが、「あなたが、そんなことを言うのはおかしい」という批判はおかしい。他人が勝手に、シナリオを用意しておいて、そこから外れると、「見損なった」と怒るわけだから。

 そもそも、代弁者などではなかった。期待するから裏切られる。
 心励まされたのは発言の「内容」だった。「人」ではなかった。


 もっと極端なのは、「相手が自分と似た境遇にあるからといって、代弁してくれる」と期待すること。

 境遇が似ているように見えるだけの、会ったこともない他人の発言に、「あんなこと言う人だとは思わなかった!」と不全感をいだき、怒りを感じる。へんじゃないですかね。




 他人の発言に怒りを覚えるときには、自問しようと思います。
 私の目的をかなえるために、他人を利用しようとしていなかったか? 他人を、自分の道具として扱っていなかったか?

「代弁者」に裏切られた、と思ったとき、自分の中にある、他人を手段として利用する魂胆に気がつく。

「代弁者」なんかいない。

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それでも、「期待」をして、裏切られ続けるのが人のサガなのでしょうか。。。