今日は、振替休暇をとって午後お休み。
週1回のカイの個別療育を見学に行った。

診断がついてから、ご縁に導かれてこの教室に出会い、もう10年になる。
当時のカイはカオスの中に生きていた。パニックや奇声で苦しみと混乱を訴えていた。
シンプルに構造化されたこの教室でだけは、集中力を発揮して、少しずつ「こんなこともできるんだ」という成長を積み重ねてきた。

今日は、10個の自立課題と5個の作業課題をやった。
一つひとつの課題はカゴに入れられ、番号を振った棚に入れられた。課題はカイ自身が左側の棚から出し、作業をして、終わったら右側の棚にしまう。おなじみのワークシステムだ。

私が見学するのは久し振りだった。今回もまた「こんなこともできるようになったんだ!」とうれしい驚きの連続だった。
特に感心したのが、紙を四つ折りにして封筒に入れて封をする作業をした時。紙が残り2枚になった時に、封筒を示して、封筒が1枚足りないことを教えたこと。見通しを持って作業をしていること、不足をこちらに伝えてくれたこと、が素晴らしいと思った。

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封筒を指さして、足りないことを伝えている

10年の積み重ねがあってのことだ。
感謝の気持ちが熱いものになってあふれてしまいそうで、見送ってくれた先生の顔が直視できなかった。

療育の後は、音楽の時間。こちらは初めての見学。
オートハープやハンドベル(押して音がなるタイプ)を、シールで色分けされたボタンを、先生の指で示されたタイミングで演奏をしていた。「演奏」だよ!!
間違えたときは、自分でもわかるようで、やり直して。きちんと曲になっていた。カイが、演奏、している!!

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ハンドベル。シールの楽譜にあわせて演奏

ピアノも、右手と左手を使って、3つの音ずつ順番に弾く練習をしていた。ぎこちなく、かたい音だけれど、いつか一人で曲を弾けるようになるかも?なんて、期待をもたせてくれた。

最後の、「グッバイ、かいくん♪」という先生の歌を聴いた瞬間、涙がこみあげてきてしまった。
この子がこんなに興味を持って、音楽を楽しんで取り組めるようにしてくださった努力と愛情に、「衝撃」を受けていた。

私は、なーんにもできていないダメおやじだが、何よりもダメなのは、わが子のもっている能力(ちから)をみくびっていたことだと今日は思い知った。

ここにいる先生がたは、子どもの「育ちの芽」を、「兆し」を、どんな細かいことでも見逃すまいとして限られた時間の中で集中して探している。それは、カイという人間を敬して、みくびらないという信念からだ。

私はいつの間にか「障害児の親」に慣れて、カイをみくびっていなかったか? 今日はそのことに気づかされた。

別れ際に、先生がかけてくださったことばを記しておく。

「彼は勉強家だから、わたしたちもやりがいがあります」

祝福のことばです。