数日前に「子ども(どうし)がねがうこと」という記事を書きました。

カイがちいさいときからずっと思っていることがあります。


この子は、他の子と自分を比べているのだろうか?

「できない」と思っているのだろうか・・

わからないことはわかっているのだろうか?



カイは、ブランコやすべり台やシーソーが嫌いでした。嫌いだと思っていました。それは彼がいやがってやらなかったから。
でもある日突然自分からブランコに行って、乗ってこいだのでした。それを見て、できるようになったからやったのだと思いました。
「失敗」がイヤだったのだと思いました。自分なりに「手におえる」と思えた時から、手を出してみようと思うのかな。

ことばがあやつれない、ということは、考えをまとめたり、外に伝えたりすることが不自由です。
ことばにならない、伝えられない思いは、他人からは存在しない、とされがちです。一番近くにいても、わからないことだらけです。

何も気にしていない、自己流、自分の世界にいるように見えることが多いこの子は、わからないことがわかっている、できないこともわかっている、屈託や屈折も彼なりにある。

中学生になりました。
中学校は周りのレベルが高いので、ものすごくがんばっているようです。
それを見て、うれしくもあり、胸が苦しくもあり。親も他人だから、本当に彼の気持ちを知ることはできないし、わかってやれない。悩みを話したり、聴いたりすることも、できないし。

「無理しなくていいよ」という言葉かけは、一体どんな意味があるのだろう?

成長しようと背伸びをする、できない、ということはわかっていても、がんばる。
がんばりたいときには、がんばって、と応援したい。
「がんばれ」という言葉が大嫌いなカイだから(嫌な記憶と結びつき過ぎている…)、その言葉を口にしなくても、僕らは応援することができる。

他人が存在すること
自分は風変わりだということ
できるようになりたいきもち

そういう屈託が、みえてきた気がする。

成長は続く。

成長痛は、だれにでもある。

痛みを、おそれない。
がんばれるときに、がんばっておこう。

kaiswing
カイ3歳