前回の記事で書いた大阪維新の会「家庭教育支援条例(案)」ですが、白紙撤回されました。

・FNNニュース: 条例案に「発達障害は愛着不足が要因」と不適切表現
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00222793.html

 こうままさんの感想が今の私の感じていることにしっくりきます。

・こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/269099729.html
すぐに親の会の皆さんが動いて下さった成果です。
きっと、GW返上で動いて下さったんだと思います。
大阪LD親の会の皆さん、大阪自閉症協会の皆さん、ありがとうございました&お疲れ様でした。
やっぱ、親の会は「運動体」でなきゃアカンですね。

でも
速攻で白紙撤回
なので
白紙撤回を撤回して
一部不適切表現だけ直して再提出
なんてことにならないように
ちゃんとみんなでじ〜っくり見てないと、ですね。

今回の件で、「親学」は要注意だって事がわかって良かったです。

 親学推進協会理事長の高橋史朗氏から「家庭教育支援条例案に対する緊急声明」が出ていることを知り、読みました。 
http://oyagaku.org/userfiles/files/rinnji20120508.pdf

「条例案」について、高橋氏はこう批判をしています。
5 月 6 日に大阪維新の会は、「本条例は、維新案ではありません。ある県で提出された条例案を議員団総会にて所属議員に『たたき台のたたき台』として配布したものであり、今後の議論の材料として提出したもの」であることを明らかにしています。

そのことは同条例案の前文に「本県の」と書かれていることからも明らかであり、ある県の極めて粗雑な非公式な私案が一体なぜマスコミに流れたのか理解に苦しみますが、私に対する不当な批判も散見されますので、見解を明らかにしておきたいと思います。

同条例案に「乳児期の愛着形成の不足が軽度の発達障害やそれに似た症状を誘発する大 きな要因」「伝統的子育てによって(発達障害は)予防できる」と書かれていることに対して、「親の育て方が原因であるような表現は医学的根拠がない」というのが、批判の最大のポイントになっています。この批判の箇所については、私の見解とは異なる点があります。

 ──どう異なるかについては、それぞれ目を通していただきたいと思いますが。

 私の率直な感想は、このかたは「善意」と「確信」をもって、持論を主張されているのだろうなあ……ということです。
 これは、皮肉ではありません。引用されている様々な学説や主張は、事実、存在します。

 しかしながら、たとえば、「声明」がWHOを引照するくだりで、「世界保健機関(WHO)は11年前に障害分類を改定し、個人の障害を環境との関係性の中で捉え、個人因子と環境因子の相互作用を重視する視点に転換しました。」とありますが、これは、ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)のことを言っていると思われます。
厚生労働省:「国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について 以下、ICFに関する引用はこのページから)

 ICFが画期的だったことは、「身体や精神の機能的障害」のみに注目するのではなく、「背景因子」との相互作用として、「障害」として捉えていることです。(「個人因子」と「環境因子」の相互作用ではなく)
 環境因子として、カテゴリー化されているものを列記すると、「生産品と用具」「自然環境と人間がもたらした環境変化」「支援と関係」「態度」「サービス・制度・政策」です。ちょっと、わかりにくいですよね。
 たとえば「生産品と用具」の例で言うと、移動の制限のある人が移動のための福祉用具を社会から提供されている場合には、「移動ができないという機能的障害」が、環境因子によって、「移動ができるという状態」に変化するといった健康状態と環境との相互作用を認め、障害分類をしようとするものです。

 ICFの目指していることを端的に表している節を長いですが引用します。

5-2. 医学モデルと社会モデル

 障害と生活機能の理解と説明のために,さまざまな概念モデルが提案されてきた。それらは「医学モデル」対「社会モデル」という弁証法で表現されうる。
医学モデルでは,障害という現象を個人の問題としてとらえ,病気・外傷やその他の健康状態から直接的に生じるものであり,専門職による個別的な治療というかたちでの医療を必要とするものとみる。障害への対処は,治癒あるいは個人のよりよい適応と行動変容を目標になされる。主な課題は医療であり,政治的なレベルでは,保健ケア政策の修正や改革が主要な対応となる。
一方,社会モデルでは障害を主として社会によって作られた問題とみなし,基本的に障害のある人の社会への完全な統合の問題としてみる。障害は個人に帰属するものではなく,諸状態の集合体であり,その多くが社会環境によって作り出されたものであるとされる。したがって,この問題に取り組むには社会的行動が求められ,障害のある人の社会生活の全分野への完全参加に必要な環境の変更を社会全体の共同責任とする。したがって,問題なのは社会変化を求める態度上または思想上の課題であり,政治的なレベルにおいては人権問題とされる。このモデルでは,障害は政治的問題となる。

 ICFはこれらの2つの対立するモデルの統合に基づいている。生活機能のさまざまな観点の統合をはかる上で,「生物・心理・社会的」アプローチを用いる。したがってICFが意図しているのは,1つの統合を成し遂げ,それによって生物学的,個人的,社会的観点における,健康に関する異なる観点の首尾一貫した見方を提供することである。
(一部改行、強調はカイパパが加えた)

 ICFは、障害の分類法として「第1部 生活機能と障害」と「第2部:背景因子」とで分けていることが特徴です(生活機能と障害は背景因子との相互作用によって変化しうる)。また、WHOがICFを定めたのは、障害分類を行う(評価する)ためのツールとしてです。障害の原因を特定するためではありません。
 したがって、高橋氏が「声明」の中で「個人因子」と「環境因子」だけに触れていることは、ICFの引照としては、ポイントを外しているように思います。(※「個人因子」と「環境因子」は、「背景因子」の中での分類)。

 ICFに関して述べてきましたが、「声明」の中で引照されているその他の学説についても、前提条件や細かな用語の使い分けなどが省かれているなどして、元々の学説の主張からずれているのではないか?という疑問があります。それは、高橋氏が「善意」と「確信」があまりにも強いがゆえに、ご自身の主張に引き寄せてしまっているからではないでしょうか。

 ただし、「声明」に含まれている「しかし、二次障害に環境要因が関係していることは明らかですから、二次障害については、早期発見、早期支援、療育などによって症状を予防、 改善できる可能性が高いといえます。」この主張には同意します。

 二次障害の防止のために、医療・教育・福祉各分野が連携して具体的な支援を提供していくことが本当に必要です。その実現のためには、養育者(親であることが多いでしょうが、親に限らず、子どもの一番近くにいる人)を叩くのではなく、養育者を支えることに、地道に、丁寧に、お金もマンパワーもかけていくしかないと私は考えます。

「子ども本人の利益を最大化する」こと──を目的とすることで合意ができれば、様々な立場や考え方の人たちが、そこを基点として、具体的なアクションをとっていくことができます。
 そのためには、障害特性を理解した、信頼できる専門家(最初に出会う保健師、医師、心理士、保育士から教師、ヘルパー……長くリストは続きます)が、相談できるところにいてほしい。「この人」の成長を、みんなで考えて、助けてほしいです。
 
 子育ては親だけではできません。
 親だけで「失敗の許されない」「完璧な」子育てをすることが、「世間」から要求されているような、そんな圧力を感じさせるようなことをしないでください。
 あなただけの責任ではないよ。しんどいときは助けあって、みんなで子育てしていこうよ! そういうことを、身近な人たちから、本気で声をかけあっていきましょうよ……お願いします。

(続きの記事)
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 怒りではなく(震え、こわばり、緊張)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52396714.html

【参考リンク】

ICFについて(ちょっと難しくて、読み通すのはつらいですが)
・厚生労働省:「国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

ICFを初めて勉強したときに感動して書いた記事がありました。
・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 【基礎知識】WHOの新しい障害の定義:「国際生活機能分類ICF」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/133100.html