昨夜眠れずに、Twitterで真剣な議論ツイートを長時間読んでいた。

痴漢、不妊、放射能、努力と自己責任──賛成や批判やメタ議論など。脳みその中で、他人の発言を理解するために、自働的に色んなささやきをチカチカとランダムに再生する。
…これって。もし自分の思いつきがこんなに多岐に渡って、しかも賛否バラバラ状態だったら、かなりやばい状態だ。

読むことは、頭の中で再生することだから、自分の中に短時間でもその思考を入れている。その瞬間、分裂した思いを複数抱えることになる。この負担は馬鹿にならない。

意図したわけじゃない情報にランダムに接してしまうのがTwitterの特性で。その偶然性のおかげで、新たな価値を自分の外から見つけることができる。そこが大きな魅力。
だけど、キャパを超えると、こんなに苦しいメディアもないかも。傷つく情報が予告なしに飛び込んで来る。読むまではわからないから。常に不意打ち。

「他人の声」は基本的に「毒」だ。致死量には達しないだけで。心へのダメージは確実にある。真剣なツイートであればあるほど。読む価値があればあるほど。このランダムで、かつ同時に別話題の議論が錯綜するとき。並列処理の能力が鍛えられたとしても。限界値を超えると倒れてしまう。毒。

価値観(フィーリング)や健康や他者の尊厳に関することは、クリアカットした答えは出せない。自分の考えも、あえて言語化して提示する義務もない。(ところが直接言われたわけでもないのに)「立場を明らかにしろ」と迫られているような気になってしまう議論があるが、それはあえてスルー。

もやもやをもやっとしたままで。
言いたくないことは言わなくていい。沈黙が保障されない場にはいたくない。