ブログを書くことは習慣なので間があいてしまうとどうやって書いたらよいかわからなくなります。これは10年近くやっていてもそう。そういう状態になったら再び書こうとするとたいてい「なぜブログを書くのか」とか「このブログで何がやりたかったのか」「意味はあるのか」といったメタ・ブログ論のスパイラルに巻き込まれて脳内ブログ記事は書いたけどもうそれだけで疲れちゃって「いいや!」になってしまうのです。(ここで「いいね!」と「いいや!」って似てるけど「いいや!」は投げやり感がパンクですね!と脱線。おもしろいから続ける。みなさん、Facebookやっていますか? やっているかた、楽しいですよね。プライバシー設定をかっちり固めたら比較的安心して内面トロ──「吐露」って書きたかったんだけど「内面トロ」のほうが内面垂れ流し的グロさをあらわにしてナイスフィット!──内面トロしても優しい「いいね!」やコメントに励まされてFacebookの傷のなめあい治癒効果あるんですよねぇこれが。)ここのところブログは書いていなくても大量にネットからの情報は摂取し続けてしまっていて。これはFacebookよりもTwitterのほうなんですが、全く縁がなく知らなかったブログの記事を偶然読み、いい意味で驚きと衝撃をうけたりすることが多々ありました。この出会いは「記事」単位での出会いで、その後も再訪し続けることはめったにない──というより反射的に読んですぐに他に移動してしまうから「その記事」が「どのブログ」に書いてあったかの記憶が残らないんですよね。「こういういいことが書いてあった」というキャッシュだけが残って元リンクが消滅してしまっている状態で「脳内Googleがあればいいのに!」って真剣に思います。「あれを題材に記事を書きたい」と思い立って探してみたけど元記事が見つからなくて記事にすることを断念といったことが何回かありました。「だれかが書いていたけど」という話のもっていきかたもありだけど、アイデアの剽窃のような罪悪感があって。脳内キャッシュしか残ってないけど「他人のアイデア」だという自覚があるときには元記事参照して書きたいよね。前置きが長くなってしまった。というか、これはこれで練習中の記事ということでエントリしておきます。読みにくいのに最後まで読んでくれてありがとう。