昨日の記事は前置きです。最近読んで、目からうろこが落ちた記事を紹介します。

POLAR BEAR BLOG: マクルーハンのスマートフォン

 かいつまんで引用をしようと思ったのですが、断念。どの部分も重要なので読んでから戻ってきてもらえるとうれしいです。


 おかえりなさい。


 個人が発信者として自らの情報を開示しソーシャルメディアにデータを提供する。そこに蓄積された「ビッグデータ」を解析してビジネスに利用しようとする動き(例えば、その人が興味を持ちそうな宣伝を表示したりといった最適化は既に行われています)。個人は、自分のデータを利用されることを知りながら(意識せずに「同意」を与えて)個人情報を書きまくってしまう。

 なぜ? ばかなの? ──ばかなのではなくて、人間が持つ指向性の存在を、マクルーハンは指摘しています。参照記事では、次のようにマクルーハンの主張をかみくだいて説明をしてくれています。

◯人間は「自らの身体の拡張」であるはずのテクノロジーに、自ら(「ナルシズム」の語源となったナルキッソスのように)恋をしてしまう。

◯私たちは自分の拡張(テクノロジー)に「それと知らずに恋をする」。魅せられ、夢中になり、濫用している自分に気づかず、耽溺してしまう。

 なぜ私たちは自動車やテレビが好きか。それは、私たちの身体を拡張したモノだから。ナルキッソスが水面に映った自分自身に恋をするように、「拡張した自分自身」に恋をしてしまう。
 そのことを、マクルーハンは「テクノロジーに対する偶像崇拝」(idolatry of technology)と呼んでいるのですね。

 たしかに。
 スマートフォンって、"超能力"ですよね。テレパシーだとかテレキネシスだとか千里眼とか無限の記憶力だとか。スマートフォンを手にして「なにこれ?便利すぎる」「楽しすぎる」と魅せられ、夢中になり、耽溺してしまっている「わたし」は、より賢く、耳がよく、声が通る存在に拡張された「ワタシver.2」に恋をして抜けられなくなっていく。
 そして、恋する「わたし」は、「ワタシ」に乗っ取られ、自動制御された状態になる。

 その恋は最初「全能感」に近い満足感を与えてくれたが、いつしか「無いと耐えられない依存状態」をつくりあげ、必要もないのにつぶやいたり、不快になるとわかっているのに他人の声を聴き続けることをやめられなくなってしまう。(それが昨日の私の記事にもあらわれていますよね。机に座ってでないとできなかったPCが24時間手元にあるスマートフォンに変わることで24時間自動制御状態になってしまった。情報がオーバーフローしているのにやめられなくなっている)

 「テクノロジーは単なる機械で、たまたま今はハマっているだけ」と思うのは油断かもしれません。スキだらけで危険。「拡張されたワタシ」だから、恋に落ちるのは必然。耽溺して無自覚に自動制御されてしまっているという自覚をしようと自戒。

 ナルキッソスは、水面に映った姿から目を離すことができなくてやせ細って死んでしまうんですよね。


・ナルキッソス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%BD%E3%82%B9

【これも面白かった】
・「 隠れ貴族」の存在 - 女。MGの日記。
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20120701/p1