母親やめてもいいですか
母親やめてもいいですか [単行本(ソフトカバー)]

わたしのまわりで、プチ話題の本です。というか、わたしが「こんな本がでたよ」とFacebookページで紹介して、「読めるかな?」「読めないかな?」と友達と言い合っていたのでした。

わたしが書いたコメント──
「ふつうの(どこにでもある)ドラマ」のテーマに発達障害が取り上げられて、もし、このマンガで救われる親が増えたり、支えたいと思ってくれる人が生まれたらいいなあと願います。なんとなく、話題になりそうな予感があるので。

でも、ぼくはたぶん読まなさそう。

「共感し過ぎて、過去が蘇る」のがこわいのだと思います。すぐれたリアリティのある作品であればあるほど。記憶がフラッシュバックするんですよね。

そのやりとりをした際に、こうままさんが「lessorさんのレビュー待ち」と言っていたのですが、期待にたがわずlessorさんがレビューをエントリーされました!

・lessorの日記:「愛されないから愛せない」と悩む母たちへのマンガ
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130326/1364313830

嫉妬を覚えるぐらい素晴らしいレビューなので、(レビューの)レビュー(感想)を書きたいと思います。

わたしは特に、愛着形成のところを、しみじみとうなずきながら読みました。
そんなことよりも、このマンガで読み取られるべきことは、まず親子関係において自明視されている「愛着形成」の難しさ、だと思う。前半部分で描かれている自閉症の障害特性、医療機関での長い長い診察待ち、療育の役割などについては、さまざまな媒体でよく言われている内容だ。しかし、「子どもが私に対して愛着を示してくれない」「私も子どもをかわいいと思えない」という苦悩に対して、応えようとしたマンガを自分はあまり知らない。

 おもちゃをいろいろ与えてみても興味を示さず、大人にとっては魅力のよくわからないものへの強いこだわりから離れられない。良かれと思って連れて行った遊び場所でパニックを起こす。自分と目を合わせてくれないし、言葉でのコミュニケーションもできない。多くの親は「この子にとって、私はどのような存在なのだろう」と思わされる経験をする。単にごはんを作ったり、身の回りの世話をしてくれるだけの存在でしかないのではないかとも考えたりする。

そして、いわゆる「障害受容」について触れたくだり──
「どんな子どもでも人と関わりたい」「どんな子どもでも親を愛している」と断言できるかと言えば、これはきっと科学的な検証が難しいテーマだ。それゆえに愛着の可能性はいくらでも信じられるし、いくらでも疑える。いくら事例をあげられても、「うちの子は違う」と思って拒み続けることはできる。信じられるかどうかは、科学的知識の説得力とは別のところにあり、親の側の用意が必要であるのだろう。

 その用意ができていく過程を指して「障害受容」と呼ぶ人もいるが、すっきりとした一定の境地があるわけでもなく、一進一退を繰り返すことだってある。自分はつい先日、家族との死別を淡々と受け止めているように見える子どもの様子に複雑な気持ちを抱く親から話を聴いていた。その子はもう青年期だ。著者だって、先のことはわからない。子どもは変化するから、ずっと信じ続けるのは簡単でない。

子どもはひとりひとり違うし、親も違う。結局のところ、ぼくたちは、一回性の生を生きることしかできない。
だからこそ、他人が通った「轍(わだち)」を、「痕跡」として眺める理由があるのだろう。こうあるべきという「モデル」でも、「マニュアル」でもなく。

lessorさんはこう語りかけます。
信じられなくなったとき、さらには信じられない自分を許せなくなったときに、「実は私にも以前そんなことがあってね…」と語ってくれる人が必要である。しかし、なかなか表立って語る人は現れない。子を信じない親に世間の風当たりが強いことを、親たちは知っているのだから。たくさんの「禁句」を飲み込みながら、絶望を深めていくとしたら、どうか。

 だから、このマンガは貴重だ。帯の表表紙側にはこうある。「わが子が可愛くないお母さんのために」。

lessorさんの文体は、いつも冷静で理性的です。けれど、むちゃくちゃ優しさを感じるんだよね、親として。

このマンガを読むすべての人に合わせて読んでもらいたい良レビューです。lessorさん、ありがとう。

わが心の姉、こうままのレビューはこちらです。
・こうくんを守れ!!: あったらし〜い「本」
http://koumama.seesaa.net/article/353010061.html