個人に、使命やビジョンなんぞ、必要ないのではないか? 本当は。

じぶんを深く深く掘っていく行為は苦痛だ。個人の使命やビジョンが「ある」という状態は、とーっっっても強い個人が想定されている。ふつうのひとは、そんなものは無くても(ないほうが?)しあわせに生きられる。

かくいうわたしは、「七つの習慣」を忠実に二年ほど実践した経験がある。フランクリン・プランナーも使ってた(集金バッグみたいな手帳ね!)。達成できたこと、身につけたこと、得たものは大きかった。それは否定しない。

でもね。

まず、使命やビジョンを定めることは難しい。「自分掘り」は苦しい。息が詰まってくる。
あまりの苦しさから、しっくりこない使命やビジョンを仮置きしても、サイズの合わない靴のようで遠くまでは歩けないよ。
もし、「しっくりくる、これだ」という使命やビジョンを見つけたとして、三年後も同じものでいいとは限らないじゃない?見直しが要る。でも、いったん掲げたものは降ろせなかったりして。寸足らずのシャツをずっと着続けるのは疲れる。

何よりも、日々使命ビジョンに照らし合わせて反省をするのがツラいったらない!

組織を率いていくとき、プロジェクトを遂行するとき、リーダーになる個人が使命ビジョンを決めてがんばる時はあるよね。組織が何のために存在し、何を目指しているかを明らかにするためには必要。逆にいえば、そんな場合だけ「期間限定」で持てばよいんじゃないかな?

だって、個人は「生きてるだけで丸儲け」。使命とかビジョンとかなくてもイッツオーライ♪
最近はそんな感じで生きてます。