・語ることは終わらせること:nyalog
http://nyalog.blogspot.jp/2013/05/termination.html
語ったり書いたりするというのは、自分の中でそれを整理して消化していくこと、言ってみれば「終わらせる」作業なのではないかなと思う。

このフレーズを読んで、本当にそうだなと思いました。

何か衝撃的な出来事が起こる。その出来事自体は「外」で起きる。知らなければ、存在しないと同じ。だが、それを自分の中に取り込んだ時にわたしたちは傷を受ける。起きてしまったことの重大さと取り返しのつかなさに呆然と立ち尽くし、後悔と自責のループが始まる。

起きてしまったこと(外部)が修復可能な、挽回できるものであれば、行動を起こして状況を変えることもできるだろう。あとは、自分自身のエネルギーの問題だ。

一方、起きてしまったこと(外部)が取り返しがつかないものである場合は、行動で何かを変えることがもうできない。「何もできない」事実が、無力な自分を責めさいなみ、傷(内部)を毎日かきむしり痛みを耐え難いものにしていく。心のなかで起きている内戦は、他人が終わらせることはできない。

心を責める/攻める武器も、「ことば」だ。時に理路整然と、時に理不尽に、「過ちについて」ことばが波のように寄せては返す。起きてしまったこと(外部)が心の中(内部)に「再現」される。感情を切り刻み、杭を打つ、くりかえしくりかえし。そのとき、内部で飛び交うことばを語ってみても、それはまだ心を傷つけるための「弾丸」だ。熱くて、火薬のにおいがまだしている。

あまりにも大きな出来事(内部)は、結局は、時間薬しか解決できないのだと思う。
膨大な弾丸が行き来した後、ようやく弾薬が底を尽く時が来るのだ。

失ってしまったものは戻ってはこない。
自分に責任はあったかもしれないし、なかったのかもしれない。
どちらであっても、何も変わらない。
罰を受けても、修復はされない。
できることは何もない。

取り返しがつかないことを認めて、心の内戦を語ることができるようになったときに、やっと、外が見えてくる。
そこから、語る試みは、何度も何度もくりかえされる。出来事が大きければ大きいほど、休戦協定は締結されては破られる。だが、このくりかえし無しでは、心の平和は永遠に訪れない。

小さなことであれば、一日でことばにして安らぎが訪れるかもしれない。
何年もかかる出来事もあるだろう。

その過程で通った道は、心の中に軌跡を残す。消えることはない。外で起きたことを内に取り込み、修復を試み失敗し、なんの残骸かもわからないような遺跡として残ったもの。時々、わたしたちはこの朽ち果てた神殿に足を踏み入れる。ことばを使って、イメージをして。

傷のかたちを確かめ、「終わってしまったこと」に、祈りを捧げる。