4月の放映開始から毎朝楽しみに見ている「あまちゃん」。連続テレビ小説を続けて観るのは初めてのことです。きっかけは、宮藤官九郎脚本。この人の作品はハズレがない。クドカンなら連続テレビ小説もきっとおもしろいに決まっている。そう思って見始めて、ハマった。

早い段階で、あまちゃんのドラマが、2008年の夏から始まり、実際の時の流れに沿って話が展開していることを知った。そして、宮藤官九郎さんが、「3月11日を描くかどうかまだわかんない」とインタビューに答えていたこと。それでも、その答えの意味は、「3月11日を『どう』描くかどうかまだわかんない」と言っているのだろうと予測していた。

一方で、上野を本拠地にしたアメ横女学園やGMT47とか、現実のアイドルグループを連想させるパラレル・ワールドを描いているのだから、もしかしたら、『違う』3月11日を描くのかもしれない──とも思った。

あまちゃんのストーリーが軽快に進み、先週の金曜日には、天野春子、太巻、鈴鹿さんの3者の大団円が見られて感動し、土曜日に「2011年3月11日」の日付が出たのを見て、「え、、、」と息が詰まった。

「描く」ということは知っていたが、『どう』描くのか?

5か月間毎朝出会ってきた人たち(それが架空のドラマの登場人物であっても)が、あの災害にあう──

そのことは、観ている全員が知っているが、登場人物たちは、知らない。

そして、今日の放送回で、3月11日の地震が起きた。
今日は、被害の全容が、わからない状態で終わった。
実際に、ライフラインが止まった地域では、テレビが見られないから、どれだけ大きな災害だったかをかなり遅い時期までわからなかったという。
その意味では、名古屋にいた僕は、体感ではなく、情報としては、知っていた。
職場で、呆然と立ち尽くして、津波がさらっていった後の「町」をテレビで見ていた。誰も、言葉が出せなかった。

災害対策の体制に切り替えて、職務にとりかかった時、気を取り直したつもりだったが、不安でたまらなかった。テレビの画像は、できるだけ見ないようにしていた。

このブログは、3月12日から、ほぼ毎日更新をした。
さっきまで、一日ずつ、読み返していた。

・2011年3月12日:名古屋からです
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52261893.html


実際に、被災地に行くことができたのは、今年の五月になってからだった。

・2013年5月29日:陸前高田(撮影日:2013年5月11日)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52475037.html

結局僕は、怖がりで、かなしみに感応するのが辛くて、本当にたいへんな出来事からは目をそらす。直視しないで、やり過ごしてきた人間なんだ。

「こわい」
「かなしい」
「不安」

この気持ちを、いろいろな表現で、はぐらかし、心を守ろうとした。
そんな記事たちだった。

それでも、なぜかこの時期、たくさんの方々が、読みに来てくださった。
いったい、何を見に来てくれたのだろう?

今想像するのは、「みんな」、こわかった、かなしかった、不安だったのではないか。

無力さが、悔しくて、歯がゆかった。

同じ出来事を、
いろいろな角度からではあっても、
「みんな」が、見ていた。

そして、「思っていること」を、シェアしあおうとしていた。自分も、その中のひとりだった。

今日、あまちゃんを観ていたひとたちは、きっと、それぞれの3月11日を思い出しただろう。
その日から始まって、今日につながっている。

忘れることは大切だ。生きていくために必要なこと。

でも、思い出すことは、忘れちゃいけないんだ。

あの時、ぼくたちは「みんな」被災した。
そして、今も、復興の過程にいる。