昨日の記事「同じ時を刻む」を書いてから、Facebookでこんなコメントをしました。

「同じ場所にいても、別々のことを考えていて、同じ時を刻んでいない」
そんなもったいないコトを数えきれないほどたくさんしてきてしまった。

ヘルパーへの批判めいたことを書いたけれど、じゃあお前は、カイと一緒にいてどれだけ彼によりそえているのか?と。

少し前に、月とゆびという記事を書きました。後悔があったからです。

昔メンタルヘルスの講習会で、講師に指名されて「あなたは、昨日のお昼に何を食べましたか?」と質問され、全く思い出せなくて焦ったことがありました。
その時、講師から「記憶が無いのは、そのとき、あなたが他のことをしていて、食事に意識がいっていなかったからです。それが、解離です」と説明されました。
(ここで言う解離は、障害としての解離ではなく、何か行為をしていても、意識が別のところに行っている状態のこと)

講習会の他の内容は全部忘れましたが、解離のことだけは、強烈に覚えています。思い当たることがあったからです。

意識が、「今」「ここに」いない状態。

誰かに教えてもらいました。「念」は、「今ある心」と書く。これを失えば「失念」。そう、解離ですね。

悩みや欲望や苦しみに、心を奪われて。
先のことや昔のことに不安や不満を募らせて。「今」が感じられていない。
バーチャルではなく、現実に感じられるのは、「今」しかないのに。

どうしたらいいのかな。

とりあえず、最近意識しているのが「見ること」です。目を実際に向けて、焦点を合わす。

そんなこと当たり前だろう!と思うけど、例えば、電車の中で、わざと目の焦点をぼかす感じを思い浮かべてください。案外、そういうぼかした「見方」をふだんもしていませんか? わたしは、他のことを考えているとそうなります。他のことを考えることは、やめようとしても難しいのですが、「見ること」に意識を合わせることで「今」に心を合わせられるようです。

「集中力がない」のではなく、むしろ集中力がありすぎる人におすすめかも。(瞬間的に「心を持っていかれる」ような集中をしてしまうようなひとにも)