おはようございます。今日は元気が無いカイパパです。辛いこと、元気がなくなることは、目にしたとしても、深く考えないようにして、やり過ごして暮らしている毎日です。しかし、昨日は、千葉県の入所施設での虐待死事件について考えていて、眠れなくなってしまいました。不安と恐怖と無力感を感じました。
こうままさんが「「行き場がない」ことの意味するところはとても大きい。」と感想を書かれていました。そのとおりだと思います。千葉県での出来事と言っても、愛知県に住む私たちが無関係であるわけじゃない。自分で被害を訴えることができない一番弱い立場の者たちが置かれている危険は構造的なものだから。
だから、書きます。


昨日、職員による入所者の虐待死が疑われている千葉県立袖ヶ浦福祉センター養育園に関する続報を2つ読みました。

・毎日新聞2013年12月27日:19歳少年死亡:千葉の障害者施設 暴行職員は13人
http://mainichi.jp/select/news/20131228k0000m040082000c.html
入所者の19歳少年が職員の暴行を受けた後に死亡した千葉県立障害者支援施設「袖ケ浦福祉センター養育園」(同県袖ケ浦市)の虐待問題で、県は27日、新たに職員3人の暴行の事実を確認し、さらに2人に暴行の疑いが浮上したと発表した。疑いも含め、暴行したとされる職員数は計13人に増えた。
 
・毎日新聞2013年12月28日:袖ケ浦の少年死亡:障害者施設虐待 理事「情報知っていた」 管理者側、隠蔽か /千葉
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20131228ddlk12040222000c.html
職員の暴行が次々発覚する袖ケ浦市の県立障害者支援施設「養育園」。3度目の立ち入り検査後にあった27日の県の記者会見では、運営法人「県社会福祉事業団」の田村邦夫常務理事まで暴行の目撃情報を知っていたことなどが明らかになった。園にまん延していた虐待を、管理者側が隠蔽(いんぺい)していたとの疑いが強まっている。

この報道からは、この施設で虐待をしていたのは例外的な一部の職員だけではなかった、そしてその事実を上司である施設長、法人の常務理事まで認識していたという救いようがない現状が伝わってきます。組織的に虐待が「容認」されていたと見るしかなさそうです。

ところが、現在、施設の設置者である千葉県がとっている処分は、「新規利用者の受入を停止する」ことだけです。
私が疑問に思ったのは、この施設に入所している人たちはどうしているのか?です。どうやら、養育園に留まったままのようなのです。

以下で紹介する記事は、なぜ入所者は保護されず、今も同じ施設に留まったままなのか? そのシンプルな問いから語り起こされた文章です。

・もうひとつの福祉:袖ヶ浦福祉センター養育園利用者への虐待についての考え
http://mouhitotsunofukushi.seesaa.net/s/article/383830279.html

今、書かれるべくして書かれた素晴らしい記事です。長文ですので、僭越ながら、カイパパなりに要約して紹介させていただきます。ぜひ全文も合わせてお読みいただけたらと願っています。

筆者はまず、「なぜ虐待されていた利用者は、自分が虐待されていた現場に住まわされ続けているのか」について、考えつく理由を一つ一つ検証していきます。どれも合理的な理由ではない。
そして、「強度行動障害は養育園へ、という迷信」が、他へ移されない真の理由であり、その迷信、思い込みが正しいかどうかの検証もされずに放置されていることについて、批判を加えていきます。
  • 『虐待を受けていた人たちは強度行動障害と言われる、対応の難しい人たちだ。そして養育園は強度行動障害に対応する、一種特別な施設なのだ。だから他の施設に保護するよりも、本人のためにはこのまま養育園にいることが幸せなのだ』
  • これが理由として成立するためには、虐待されていた利用者たちが、他の施設では対応が不可能な人たちであるということの論理的な説明が必要になります。しかしそんなものは欠片もありません。
  • 強度行動障害者について一般的な障害福祉施設では対応できないというようなことはない、そう断言できます。さらに付け加えるなら、強度行動障害と一口に括っても、実際には一人ひとり異なるので、逆に他の施設の方が合っているような場合も想定できます。

にもかかわらず、いったいなぜ、彼らは強度行動障害という理由で保護をされないのか。保護したくても保護先の施設が無いというためには、
  • 千葉県内のすべての入所型の施設を行政の担当者が訪れて、事情を説明し、保護としての措置入所(ショートスティでもかまわないのです)が可能かどうかを打診することが必要でしょう。
  • そうした努力をしないまま「強度行動障害者は難しい→一般の施設では無理→養育園にいるのが本人のため」というような判断になったと推測されます。
  • 保護先は入所施設に限らないのです。グループホームやケアホームという制度上にある施設であれば、保護させることは可能です。

以下は、直接引用します。
 しかし、虐待を受けた利用者は、どこにも保護されていないという現実。
 …
 千葉県内に多くの障害者施設がありながらも、強度行動障害者については養育園だとみんなが思い込み、それを不思議に思わないようにしているこの構図は、実は現在の障害者の置かれている差別の構造と、まったく同じなのです。「福祉のことは行政の仕事だ」とか「障害者は福祉の専門家に任せておけばいい」みたいな国民全体に蔓延している差別の空気と同じものが、差別内差別のように障害福祉の中で起こっているのです。「強度行動障害者のことは養育園に任せておけばいい」と。

 障害者の暮らす場としてこの地域社会が想定されていないように、強度行動障害者の暮らす場として一般的な障害福祉施設は想定されていないのです。

強度行動障害は他に行く所がないという思い込み…。ここで、読んでいて涙が止まらなくなりました。
 養育園と他の施設との関係は、一昔前の障害福祉施設と地域社会の関係に似ています。一昔前の障害福祉施設では、今では考えられないような、それこそ命の危険にも繋がるような虐待が行われていました。そのころの虐待の姿に、養育園の虐待の姿が重なるのです。それはつまり他に行き場の無い人たちに対して行われた虐待だということです。その虐待は、障害の重さを理由としているのではなく、他に行き先が無いというその人たちの、社会から、あるいは一般の福祉施設から棄てられた度合いによる虐待なのです。他に行き場が無い利用者だということが、職員の頭と心の中からその利用者の人間性を薄めさせていくのです。

 暴行をすれば、嫌になって他の施設に移っていく人に対する虐待ではなく、どんなに暴行をしても他に行くところが無い人に対する虐待はどんどんエスカレートしていきます。他に行き場のない人の方が、人間としての価値が低いような、人間性が希薄なような錯覚が、職員を残忍にさせていくのです。

 こうした古い時代の障害福祉施設での虐待は、地域移行が進む現在は無くなりつつあると思います。虐待されたなら他に行くぞ、という権利と自由の獲得が、障害者の人間性を回復させているからです。職員は目の前に立つ利用者が人間としての尊厳に溢れていたなら、虐待などできないのです。

 虐待ができるということ。しかもそれが残忍であり、恒常的であり、場合によっては死に至るほどにエスカレートするということの根底には、対象者の人間としての尊厳が失われているという状況があるのでしょう。つまりそれが、虐待をされても、暴行を受けても他の場所に保護されることの無い養育園に暮らす強度行動障害者の置かれている状況なのです。

そして、筆者は解決の道を主張していきます。
  • 本当にこうした虐待を無くしたいと考えるならば、何よりも大切なことは、養育園に暮らすすべての利用者について、強度行動障害であったとしても、人間としての尊厳を取り戻させること。
  • そのためにもっとも有効であり、必要なことが、つまり強度行動障害であったとしても養育園を出て行くことができる自由の回復。すなわちそれは施設職員や管理者、行政など、福祉に関わるすべての人たちが、「強度行動障害者は養育園だ」という無知蒙昧を棄てることなのだろう。
  • 養育園での、古典的な狂気に支配された虐待を防ぐために、最初にやらなければならないこと。それは虐待の被害者でありながら保護されない人たちを、保護すること。
  • 養育園で虐待された人たちを本気で護りたいと考える人たちが、彼らに「君は行き場の無い人ではないんだ、僕のところに来てくれ」と叫び、それを実践すること。このことをおいて他に、彼らの人間としての尊厳を回復させる手段は無い。

筆者は呼びかけます。
 そのためにできること。入所施設でもグループホームでも、あるいは個人でもかまいません。本気で彼らを護りたいと思っているのなら、彼らが尊厳を持つ人間であることを意地でも証明したいと願っているのなら、「私の施設を保護先として使ってください」「僕のグループホームで、一人だったら受け入れ可能です」「私の家に来させてください」ということを、行政の担当課に対して、そして広く社会全体に対して表明することです。

 もちろん、それによって本当に保護されることがベストです。しかし仮に保護がされなかったとしても、彼らが行き場のない人だという嘘を暴いて、国民全体の思い込みを覆す力にはなっていくはずです。

ぜひこの訴えを届かせたい。
千葉県の福祉関係者、全国の福祉関係者から「自分の所で、受け入れる」という声があがってほしい。

記事はこのように結ばれています──
 そして、願っています。
 一日も早く、虐待を受けていた人たちが、それを助けもせずに見て見ぬふりをしていた職員たちから離れられるように。
 虐待をされた現場である部屋や建物の中で眠りにつかなければならない夜が少しでも早く無くなるように。
 自分を叩いた箒で部屋の掃除をさせられる屈辱と悲しみから解放されるように。

亡くなった方は、まだ19歳でした。あんまりじゃないか。

(2013年12月31日追記)
・千葉県公式サイト:袖ヶ浦福祉センター養育園利用者の死亡事件等について
http://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/press/2013/youikuen-jiko2.html

(2014年1月2日追記)
合わせて読みたい。

・知的障害者入所施設での虐待を防ぐために〜Saussure氏の考察
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52513648.html