表情に出ていないからといって、苦痛を感じていないと思っては間違う。

意味がわからない環境に置かれ、見通しのない行動をやらされて、ポーカーフェイスだから、何ともないと誤解してしまう。
今日も一日無事過ごしたと見なしてしまう。でも、本当にそうか。

何ひとつ納得もせず、強制されて動かなければいけない。そういう環境に私たちは置かれたことがあるか?
自分の周りで、自分のことを聞こえよがしにバカにされたことがあるか?

それは、いじめだ。

無表情に隠された苦痛を読み取らなければいけないんだ。微弱な発信を見逃したり、無視したりし続けていないか?

「言語で表現できない=意思がない」なんて、大きな間違いだ。イコールで結んじゃいけないものを結んで平気でいるのは罪だ。

・エルの引き出し:表出するために
http://ameblo.jp/eru-in-the-sky-with-diam/entry-11751179536.html
自傷や他害をしたくてする人はいない。
自分がそうしたとしても、平気な人はいないと思います。
自分も傷つけ、その記憶は消えないでしょうから…
不適応行動で表現してしまいがちなのは、拒否や要求といった思いを相手に伝える力が弱いから。
誤学習や未学習もありますし、周りの人が、うまく彼らの表出をキャッチしない結果、伝えるのをやめてしまうから。

続編も合わせてどうぞ。

上に引用した、尊敬する先輩お母さん、エルさんの最近の記事は、「本人が理解できる」「本人が使おうと思える」道具、方法を、こうかな?これかな?どうかな?とくふうをする過程を具体的に見せてくださっています。

微弱な電波を増幅するしくみ、それは、本人が「わかった!」「伝わった!」というよろこびを感じるサイクルのことなんだね。

「無表情」って言うけれど、「無」って何? 「無」じゃないんだよ。こっちがキャッチできていないだけなんだ。

この人たちには感情がある。豊かな感情が。