わたしは、カイパパFacebookページもやっていて、気に入った記事を紹介したり、日々の想いを気楽に書き留めたりしています。
先月書いたある投稿が、わずか3日間で1万人以上に見られるという"事件"がありました。Facebookでは記事がシェアされたり、いいね!されることで、容易に拡散がされると聞いていましたが、その勢いには本当に驚きました。

その投稿は、ブログ「自閉症児 渡の宝箱」の記事、

・自閉症児 渡の宝箱:自閉症の子供がレストランに来たらどうするか?アメリカの警察恐るべし
http://d.hatena.ne.jp/kuboyumi/20140416/1397793621

で紹介されていた動画に関して書いたものです。カイパパ通信にも残しておきます。

この動画は、アメリカのテレビ番組で、町の中で、役者(仕掛け人)を使ってシチュエーションをつくり、周囲の人々の反応を観察する番組です。以前にも、障害を取り上げた回をいくつか見たことがあります。リアルな実験なので、複雑な気持ちになることも多い番組です。



今回の実験も、同じような経験(レストランで大きな声を出してしまったり、風変わりな行動をとってしまったり)があり、人目が気になったり、あやまって回ったりといったことが日常的にあるので、ハラハラしながらみました。

しかし、その結果に、感動しました。レストランにいた町の人々みんながすごかった。
警察官だけではなく、ごく普通の人々が勇気を持って、自閉症をもつ少年、家族を守ろうとしています。

この映像の中で、警察官が、"compassion"という言葉を使います。「同情の気持ちがある」と訳されています。語源は、ラテン語で「一緒に苦しむ」の意だそうです。日本語だと「気の毒に思う」に近い気がします。私は、この感情が、障害をもつ人々を受けいれるカギだと思っています。

障害特性の詳しいことまではわからなくても、何かしらの困難を抱えていることがわかった時、気の毒に思い、自らもその痛みを感じる。そういうcompassionは、赤の他人でも感じることができる。

ラストで女性がインタビューに答えています。彼女は、自閉症の少年の母親で、「昔自分が息子を連れて外食をした時の周囲の無理解と比較して、今回の実験での町の人々の受けとめ方のあたたかさに感動をした」と言っています。「自閉症の理解を広める活動の成果が少しずつ浸透している」と。

何も活動がされていなかったら、変化はなかったことでしょう。小さな積み重ねが継続して、町の人を変えていく。

日本も、きっとこうなります。