今日、ぶどう社の編集者であり社長であった「市毛研一郎さんを偲ぶ会」に出席させていただきました。
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わたしの会ったことのない40代(今のわたしと同年代)の市毛さん

以下は、わたしが、市毛さんへ贈ったメッセージです。長いですが、よかったら聴いてください。

カイパパです。2005年に『ぼくらの発達障害者支援法』という本を出しました。
この場で、お話させていただく機会をいただいて、何を話そうかと。毎日市毛さんのことを思い出すことができて、とても幸せでした。
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私が思ったのは、この場は「自分たちがどれほど愛されていたか」という事実を確かめ合う場なのかなということです。
市毛さんと一緒に、私たちは「本」という子どもを生み出しました。市毛さんがここにいなくても、いつか私たちもいなくなっても、「本」は残ります。
「本」を生み出すにあたって、市毛さんは親のような存在でした。だからここでは、「自分が愛されていた」という思いをわかちあい、市毛さんを偲びあえたらと思います。
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ぶどう社市毛さんが創った219冊

最初の出会いは2004年の夏でした。市毛さんが知多にいらした時に、初めて言葉をかわし、帰りの電車をご一緒して、別れ際に、「いつか、ぶどう社から本を出しませんか?」と誘われました。すごくうれしかった気持ちを今でも鮮明に覚えています。
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その時の貴重な映像 by 戸枝さん

何年も先になるだろうと思っていたのですが、発達障害者支援法成立に向けてのキャンペーンを、ブログでやっているさなかに、コンタクトがありました。「今カイパパブログでリアルタイムで、たくさんの親たちが真剣に思いを伝え合っている。これを本にしたい」と。
「ぶどう社は、自閉症のことをずっと先を走ってやってきた自負があるけど、最近は他の出版社もがんばっている」ともらしたことがありました。少し、焦りもあったのかもしれません。「ぶどう社らしい、発達障害の本をカイパパと作りたい」と口説かれました。

この本づくりが、これほど大変なものになるとは二人とも思っていませんでした。とにかく情報とノウハウを盛りだくさんに詰め込んで。法の施行から遅れては、タイミングを逸してしまうから、タイムリミットがありました。

最後まで粘る私に、さすがの市毛さんも「この期に及んで、ここまでやるのは、ぶどう社だけですよ」とぼやきながら、一緒に粘って、完成させてくれました。
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当時のチラシ(なつかしい…)

すごい熱量で、二人とも過集中状態で本を完成させた後、わたしは、
「いつか僕が市毛さんの物語を本に書くよ!」と言いました。そしたら市毛さんは、
「俺の想いは、今まで作ってきた本に全部込めてきたから、俺の本は要らないんだよ」と答えましたね。
それが、すごくカッコ良くて!
ぶどう社の本は、編集者一筋に生きた市毛さんそのものなんですね。

『ぼくらの発達障害者支援法』は、出版されてから反響を呼びました。今読み返しても、「いい本」です(*^_^*)



けれども、この凄さに、本で増幅された「カイパパへの期待」に、私は押しつぶされてしまいました。
講演活動などもやりましたが、違和感が大きくなって、やめました。ブログの更新も、止まってしまいました。
本を出したことで、「実物の自分」がとても小さく思えて、「他人の期待に応えられない自分」はダメな奴だと思いました。じぶんの本を見るのも嫌になってしまいました。

市毛さんとも、2006年の出版記念パーティー以降、会えなくなってしまいました。
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やっと再会できたのは、6年後の、市毛さんが病を得たとの知らせを受けてからでした。

──ここからは、今年3月に、私から市毛さんに出したメールを読ませていただきます。

市毛さんへ

ご無沙汰しています。2011年にブログを再開して、そこから長い「リハビリ」と模索の日が続き、2012年に、市毛さんにやっと再会ができました。あの日、二人で涙を流しながら、カイパパ本を出してからの苦悩を分かち合えたこと、そして、長い時間がかかったけれどもあの本と「和解」できたこと、市毛さんと対面ができるようになったことを、語り合いましたね。

二人の涙のあとの、すっきりとした笑顔を、さやさんに撮ってもらった。
その写真を、カイパパ通信に載せました。
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この3年間、わたしは、草の根ささえあいプロジェクトという、社会的孤立に陥っている人たちのことを考え、支える活動に参加してきました。
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2011年4月「穴を見つける会」第1回

この活動は、直接自閉症に関することではないと思っていたけど、知れば知るほど、社会的孤立と発達障害の関わりは深く、苦しみの根っこに障害があるのに本人も周囲も気付かずに長年放置された結果が、孤立だったということを知りました。これは、他人事ではない。だから、関わり続けようと思っています。

一方で、「親」という立場そのものに、しばられることのない活動は、他のメンバーとフラットに付き合えて、私にとっては良いリハビリでもありました。それを3年間続けて、色々な組織運営の方法やスキルを身につけることができました。成長できたと思います。
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2014年5月草の根ささえあいプロジェクト

そのおかげもあって、ようやく、親の会に、もう一度向き合い、自閉症の子を持つ親として、カイのために直接役に立つ活動を再開する覚悟と自信ができたから、
この4月から、愛知県自閉症協会に、新たに「プロジェクト部」を立ち上げて、部長として活動することに決めました。
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2014年5月プロジェクト部第1回企画会議

このことを、市毛さんに報告しようと思っていました。
本のあとの低迷を、自分にも責任があると悩み、思いやってくれていた市毛さんが、安心してくれると思って。

少し、タイミングが遅れてしまったけど、私が作った企画書を送るから、読んでください。ちょっと長いけど、もしわかりにくかったら、アカ入れてもらってもいいですよ。

【実は、このメールは、市毛さんに読んでもらうことができませんでした。市毛さんは、既に旅立たれた後で、そのことを知ってから、このメールを書き、市毛さんのメールアドレスに送ったんです。続きを読みます。】

どうかなあ?
機動性を持って、自由でしなやかな活動体にしたいと思っています。また、愛知に注目してほしいです。

この、プロジェクト部を始めるという報告が、間に合わなかったこと、とてもショックでした。
だけど、2月にこうままさんが市毛さんに、「カイパパと一緒に活動を始める」と報告してくれていたと聴いて、少し救われました。
でも、直接報告したかった。そして、市毛さんの深い声で、「カイパパの、そういうアイデアはどこから出てくるのかな…?」ってたずねて欲しかったな。

これからがいいところだから。見守っていてくださいね。

私は、空高く舞い上がり、イカロスのように地に落ちて、そこから、とぼとぼともう一度登ってきました。
昔より、おだやかに、優しく、そして弱くなりました。
つらいときには、『ぼくらの発達障害者支援法』を開いて、思い出します。
市毛さんが私に投げかけてくれた言葉、励まし、愛情を。

荒さん、さやさん、ぶどう社をよろしくお願いします。
私にできることは、ささやかだけど。市毛さんが心血を注いでくれた本の著者として、毎日生きていきます。

また、連絡しますね。ありがとうございました。

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あなたと一緒に創れたことを誇りに思う

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