元旦の更新から、3週間も空いてしまいました。

この間、1月10日に、小牧市で権利擁護の講演を聞きに行ったり、1月11日に、プロジェクト部企画の権利擁護セミナー「本人のベストインタレスト」を開催したりと、いろいろと報告したいことが溜まってきています。とても得るものが多く、考え続けています。

実情を知り、現実はこれでいま回っているのだとわかる。極端な不都合は生じていないから、報道されることも少なく、意識されることも少ない。
でもそれは、「本人の意思」をくみとれていないことや、くみとれたとしても、「実現が難しいから」という理由で「意思」が無視されてしまっている──しかし、そのことが「問題」だと認識されていない。「問題ありません」という報告の中身に問題があるのだ。

本人の意思はある。本人の意思決定が実現していないこと自体を、「問題視」することから始めていかなきゃいけない。
無自覚に、他人(わが子も他人)の権利を無視してしまっているのが問題。

「親だから、子どものことを一番考えているのだから、親が決めればOK」ではない。
「意思がないんだから、他人が決めて当たり前」となっていないか? 
「本人の最善利益を考えたら、どうしてもこうしなければならない」という場合でも、その決断を、痛みを伴う自覚をもってできるか?

こうままさんが昔から、「違いのわかるオトコに育てたい」と言い続けていて。
それは、「選べる」ひとになることを言っている。
「選べる」ようになるには、じぶんの意思で「選ぶ」経験を小さい時から積み重ねることが必要で。常に、誰かが決めた「結果」を押し付けられて生きてきたら、「選べる」ようにはならない。

「選ぶ」ためには「選択肢」が要る。「あれかこれか」の2択や3択だけでは足りなくて、ほんとは、「その他」っていう選択もある。親は、実現がしやすい選択肢を提示しがち。選択のテーブルにあがっていない「その他」は、実現が難しい(それは、不可能ではなくても、手間がかかる)。

──でも、もしも、カイが「その他」をじぶんで選んでくれたら、僕は喜んでなんとかしてかなえたいと思うだろう。障害の重さを痛感するのは、新しい経験を望まず、決まりきったルーティンを選び続けることの方だから。

やっぱり、挑戦の機会を与え続けることが肝心だ。
「イヤ」という拒否は、「その時の彼」の意思だが、ベストインタレストを将来的にも実現していくためには、体験したことがないことを体験してみて、好きだと思えるコトを増やす挑戦を続けていきたい。

5行で終わるつもりが、書き始めたら、こんなに。まとまりもないひとりごとです^_^;。セミナーの報告は、あらためて書きます!

こうままさんの1月11日「本人のベストインタレスト」レポートはこちらです

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わたしと同い年、共通点が多い、又村あおいさんは「意思決定支援は、まだまだこれから議論を深めていく時期」と何度も繰り返されていました。