ゴールデンウィークの長い休みで、幼いわが子と長い時間を過ごす。妻から不安を幾度となく聞かされても「気にしすぎだ」と取り合わなかった父親も。
子守を任されて、2才児がよろこびそうな場所に連れて行こうとする。いつもと違う行動を全力で嫌がる。奇声をあげる。だっこから身体をよじって落ちても気にせず脱走しようとする。電車は無理だとあきらめて、車に乗せる。走っている間は静かで、信号で止まるたび、キィー!と叫ぶ。

ほとほと疲れ果てて家に帰り、「ただいま」の声に答える声はない──ベッドでは死んだように眠る妻の姿。心は折れて、たった半日なのに、これだけぼろぼろになってしまった。妻はどれだけ苦しんだだろう? いったいこの子の何がおかしいのか…。

わが子はいつもの席に座り何かを待っている。何を待っているのか? 何が欲しいのか? わからない。また泣き始める。仕方なく、妻を起こす。

「悪かった。休みが終わったら、どこかに相談に行こう」

──書いていて切なくなります。きっと今もどこかでこのようなことが起きている。

Facebookで出会った「先輩お母さんからのはじめてわが子が自閉症の診断を受けた母親へのアドバイス」を紹介します。

・The Best Advice I Can Give a Mom Who Just Got an Autism Diagnosis
http://themighty.com/2015/03/the-best-advice-i-can-give-a-mom-who-just-got-an-autism-diagnosis/

アメリカの方が書いた記事ですが、わが子の診断を受けた時の親の衝撃は、国は違っても同じなんですね。
先輩お母さんからのアドバイスがあたたかいです。英語なので、カイパパの拙い訳でご紹介します。
今は、何もしなくてだいじょうぶ

家に帰って、アイスクリームを食べに行ってだいじょうぶ

今夜はあなたの娘さんとくっついて、彼女の大好きなビデオを何度も何度も見続けてだいじょうぶ

ベビーシッターをお願いして、夫とでかけてもだいじょうぶ。自閉症の話は一切しなくてもいいし、その話ばかりしてもいい。あなたが過ごしたいように時を過ごしてね

インターネットで見つけたありとあらゆる情報を読んでもだいじょうぶ。それとも、すべての記事を疫病みたいに避けてもだいじょうぶ

Amazonで買った本を読みふけってもだいじょうぶ。あなたが初めて手に入れたおんぼろ車につかった時間よりも長く

本を買うかわりに、あたらしい化粧品を買ったり、美容院にいったりするのもだいじょうぶ

診断をきく前とおなじ母親であってだいじょうぶ

だって、あなたは同じあなたなんだから

母親から母親へのアドバイスになっていますが、父親に対しても同じだと感じました。

子育てを母親に任せきりにしていた父親は、診断がついてから、焦って「自分にできること」を探そうとします。情報を探しまわり、勉強し、「いいらしい」と聴いたことをすべて試して「自爆」したり。パートナーにかえってプレッシャーをかけてしまったり。

間違ったことをしているわけではなくて、ただ、この子にとっては「まだ時期ではない」ことがたくさんあるのです。

引用記事はこのように続きます。
いつしか、あなたは驚くことになる。自分が、わが子のために、どれだけ能力と強さをもち、学び、しっかりとした人間になったことに。あなたは、すぐに専門用語や略語を理解し、医者やセラピストや他のママたちが話す言語を元から知っていたみたいにわかるようになる。そうなるの。

そして、あなたは本当にそれがすごく得意になる。

だけど今は──。そうなる必要はないの。
あなたの子どもは変わらない。そしてあなたも同じママ。
お医者さんの診断は、そのことを何も変えていない。

わたしにできるアドバイスは、とてもシンプル。
診断の後の最初の数日、数週間、「あなたが必要なだけ時間をかけていいよ」ということ

あなたたちだけじゃない。
わたしたちも、苦しかった。11年前に「今は喪中だから」という記事を書いています。
診断の告知を受けたときに、私たちは混乱し深い悲しみに落ち込み、おぼれてしまいそうになってしまいました。
その感情は、将来に対する不安と喪失感だったと思います。「しっかりしなくちゃ」と思うのだけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまい、仕事が手につかないくらいでした。また、妻の落ち込みも激しくとても心配でした。

そんなときに、妻が言った言葉――「今は喪中だから悲しいだけ」。この言葉の意味は、「今は喪中だから悲しむだけ悲しむ。でも時間が経って喪があければ大丈夫だから」という前向きな意味が込められていると思いました。

「悲しいときはがんばらないでいいよ」と伝えたいです。悲しいときは悲しみにくれたらいいんです。仕事だって、休めばいい。子どもの障害は、それくらい重く大事なことなんですから。

これから、いろいろなことが起きるけれど、辛いこともあるけれど、いっぱい失敗もするけれど、ひとのやさしさやあたたかさにも出会う。助けてくれるひとがたくさんいる。

子どもはゆっくりと成長する。今はわからなくても、この子はあなたたちをかけがえのない存在と理解し、愛してくれるようになる。

だから焦らなくてだいじょうぶ。
問題を「解決」しようとしなくてだいじょうぶ。
そもそも「問題」なんかじゃないことに気づくから。
それが、15歳のカイの父親になった、わたしに言えることです。
2004保育園運動会
2004年のカイとパパ