誰かに呼びかけられて、その呼びかけに応えなかったことに罪悪感を感じることがある。罪悪感をそのまま持ち続けることに耐え切れず、罪悪感をもたせた呼びかけに対し、反発を覚えるようになる。
そして、「その呼びかけ=悪」という説明をどこかで見つけて「応えなくてよかった」と後付で合理化したりする。

しかし、そもそも罪悪感を感じた理由は、その呼びかけにシンパシーを覚えていたからだった。
それが、罪悪感が不快なあまり、裏返ってしまった。あれ?

罪悪感が余計だね。なぜ罪悪感を覚えるのだろう? 
呼びかけ人の「行動」に対する「感謝(自分が動けないのに動いてくれてありがとう)」がある。それは呼びかけ人が自分へ「贈与」をしてくれたように感じるから。
その贈与に対して「返礼」しなければならないのにしていないことが罪悪感の理由なのかもね。

だとすれば、「感謝」して「応援」する行為で返せばいいんじゃないかなあ。
どんな形でもいい。呼びかけられた行為そのものはしなくても、心のなかで祈るとか、どこかで支持を表明するとか。
罪悪感なんてやっかいなものに、元々もっていた思いを反転させられるよりも、ましなやりかたがある。

最近呼びかけられる機会がやたらと増えたなあと感じます。
わたし自身も呼びかける側になることもある。「参加できなくてごめんなさい」と謝られたりすると、こちらも申し訳ない気持ちになります。
「ありがとう」「応援しているよ」のことばだけで勇気百倍なんです。呼びかけを読んでくれただけでも、有り難い。だから、どうか罪悪感は持たないでいただきたいのです。

わたしは、できるかぎり気持よくお誘いしたいと思います。やってるわたしが、楽しくやるのが一番ですね!