この話は、10年以上前から、わたしにとって羅針盤になっています。これまでにも何度かお話したことがありますが、もう一度書いておきます。
カイが3歳ぐらいのときに通っていた母子通園施設の勤務医が文集に書かれていました。
「この子たちは、有用性で測れば『価値がない』とか思われてしまう。だが、人であるということ、生きる命であることがそれ自体尊いのだ」と。
「人を有用性で測るな」
この言葉は、わたしの心を撃ち抜きました。
子どもの障害がわかるまでは、わたしは平気で当時の流行り言葉である「勝ち組/負け組」といったことを口にする人間でした。
「役に立つ人がエライ」「役に立たなければダメ」という価値観が自分の中に内面化されていました。
「できる人」でいたいという自己願望が強く。ひとのことを「使えねー」とか非難したりして。「できる/できない」で他人を測る心性の持ち主でした。
わたしは今でも、やさしいよりは、厳しい人間だと自覚しています。でも。「やさしくなりたい」と思ってる。
究極は、この医師が言ってくれているとおり、人であること、生きる命であることそれ自体を愛することができるようになりたいと思っています。
不器用だったり、変わり者だったりしても、だからと言って「人でなし」と排除されるのはおかしい。生きる命の多様性がこんなにあるんだ!とびっくりしながら認め合えるのがいい。
カイが3歳ぐらいのときに通っていた母子通園施設の勤務医が文集に書かれていました。
「この子たちは、有用性で測れば『価値がない』とか思われてしまう。だが、人であるということ、生きる命であることがそれ自体尊いのだ」と。
「人を有用性で測るな」
この言葉は、わたしの心を撃ち抜きました。
子どもの障害がわかるまでは、わたしは平気で当時の流行り言葉である「勝ち組/負け組」といったことを口にする人間でした。
「役に立つ人がエライ」「役に立たなければダメ」という価値観が自分の中に内面化されていました。
「できる人」でいたいという自己願望が強く。ひとのことを「使えねー」とか非難したりして。「できる/できない」で他人を測る心性の持ち主でした。
わたしは今でも、やさしいよりは、厳しい人間だと自覚しています。でも。「やさしくなりたい」と思ってる。
究極は、この医師が言ってくれているとおり、人であること、生きる命であることそれ自体を愛することができるようになりたいと思っています。
不器用だったり、変わり者だったりしても、だからと言って「人でなし」と排除されるのはおかしい。生きる命の多様性がこんなにあるんだ!とびっくりしながら認め合えるのがいい。
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時々ブログ覗かせて頂いています。
名古屋の東に住んでいる、自閉症の息子小1の母しまじろうです。
この記事を読んで涙が出ました。私も進学校、高偏差値、高学歴にまみれて生きてきました。私が生きてきたものさしではかると、息子は存在が無意味になってしまう。でも、そうじゃない。
息子は支援級に通っているのですが、家庭に問題があったりしてトラブルメーカーの高学年の子たちが、息子に対してものすごい優しさと気配りで支援してくれます。先生方もそんな彼らの一面に驚いています。彼らにとって、息子の存在は守るべき弱者であり、癒しなのではないだろうか、そんな彼らの良さを引き出す息子…かけがけのない、唯一無二の存在です!!
あぶり絵?!のような(笑)
勉強ができなくても自己肯定感を持ち、毎日楽しく過ごしてくれたらと願ってやみません。勉強ができても自己肯定感がもてなかったりいじめにあったりして、引きこもり・ニートになってしまう子を時々見かけます。
機会があればカイパパさんの活動に参加したいと思います。よろしくお願いします。