このところ(何年も)、「内面化する」ことが気になっています。

社会の価値観を自分のなかに取り込んで、自分の価値観とすることは、ごく当たり前に起きることだけど。それが、本来の自分の望むこと、こっちへ行きたい、という自由を引きとどめるかたちで機能することがある。

「世間の目」なのに、内面に取り込まれているから「自分の意思」でストップをかけていると思っている。実はそれは「フタ」であって、フタをされた中には望みが抑圧されている、みたいな。

今朝書いた文で、この「内面化」をイメージとして伝わるようにやっとできた気がします。

「自分のなかに居座る他人」

他人の評価にとらわれる、ということは、自分の中に「他人」を入れて監視をさせることだ。
それは仮想の「他人」だから対話もできない。無慈悲に自分を踏みにじる。
自由に生きるには、「他人」を自分の中から追い出すこと。「外」においておくことだ。