俗にいうこの「自己決定」の視点は、今や、あらゆる福祉サービスやケアの大原則として広く普及しています。その自己決定論を背景として専門家が当事者とかわす言葉の中に、
「あなたはどうしたいの……」という問いかけが、あらゆる場面で見受けられるようになりました。しかし、その問いを投げかけられた当事者の多くは、「自分が決めたのだから、その結果責任はあなた自身が背負うことになります」という背後にあるメッセージに緊張を覚え、恐怖を感じるといいます。

・引用記事:往来物手習い:自己決定とは自分だけで決めないこと
※上記の引用箇所は、向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』P.66〜68からの引用。

井上淳之典さんが引用するべてるの家の向谷地さんのことばを読んでわたしが考えたこと──

「自分だけで決めている」ことは、どの人も実は限られていて、実際には家族や友人と相談したり先生や同僚と話し合ったりして「こんなもんかな」と決めている。ネットの質問板があれだけ盛んなのも、ネットでの相談を決定に活用しているからでしょう。

「自分で決めた」経験がない人は、実は「相談をして決めた」経験がない人だったりする。相談のしかたを知らない(どこまで相談をして、何を選んで採用して、決めたらいいのか? 相談者が言うことに100%従わず、今回は70%にしておく、というあんばいがわからない)。

「あなたはどうしたいの」の問いかけは、根源的すぎてこわいものがある。
「あなたは何を頼む?」とレストランで尋ねられて、決められず冷や汗をかくのも当たり前にあること。ましてや、生活の根幹に関わるようなことを「自分で決めて、責任も取れ」と言われたら、こわくて決められないよね。

「意思決定支援」を考えるときに、「自己決定とは自分だけで決めないこと」というコンセプトを必ず思い出したい。

──とここまでが、今朝カイパパFacebookページに投稿した内容で、非常に多くの方に見ていただきました。が、ここで終わってはいけないという危機感で、以下書き足しました。

「意思決定支援」を考えるときに、「自己決定とは自分だけで決めないこと」は意識すべき。

だがしかし、「親」だけは、本人の意思決定に介入をすることに極力抑制的でありたい。

なぜなら、「親」が子に対して持つ影響力は、他の周りの人とはレベルが違うからです。
「親」がする「助言」や「選択肢の提示」は、意思決定「支援」を超えて、「代行」になりがちです。それは、形式的には本人は「選ぶ」かもしれませんが、生まれた時からの関係性(習慣)によって本人も「自動的に選ばされている」状態になってしまう。

さらに、「親」は、意思決定に介入した「責任」を自分が取るつもりなだけに、余計にたちが悪い(※自己批判です)。

「我が子のためにしたことの責任は、私が取ります!」一見いさぎよいように見えますが、これは最悪です。「本人が、自分自身の行動の責任を取ること」すなわち「自分自身の人生を生きること」を「親」が奪いとってしまっていることに気づいていないからです……。

自分で決めて、自分で責任を取る。それが、ひとりの人間の人生ですよね。
残念ながら、「親」が意思決定支援に関わると、やり過ぎてしまう。奪ってしまう。それは、「親」がずっと「親」をやってきたがゆえに(涙)。

わたしは、カイの意思を尊重したい。彼が自分で決めて選べる大人になることを目指して、日々暮らしています。彼は、昔よりもはっきりと意思を示せるようになってきています。「選ぶ」前提となる「経験」を今のうちにたくさん提供すること。それが、「親」であるわたしたちの役割で、彼が大人になってからは、彼の意思を尊重し、決定を手伝ってくれる人たちにささえられて、人生を生きていって欲しい。そう願います。